第55回ヴェネチア・ビエンナーレ 出展作家
リチャード・モス ロングインタビュー!


nterview & translation : Ihiro Hayami

始めて、リチャード・モスのプロジェクト「Infra」に出合ったのは確か2011年だったと記憶している。その時の衝撃は忘れる事が出来ない。鮮やかなピンクのカラー。以来、彼の作品はまるで僕の頭の中にこびりついたかのように、記憶から薄れる事が無かった。2013年、彼が新作「The Enclave」をヴェネチア・ビエンナーレで発表するという事を聞き、彼に取材をしたいという想いが募った。このインタビューは、ヴェネチア・ビエンナーレ開催直前に行われたものだ。最も忙しい時期にも関わらず、リチャードは、快く取材を引き受けてくれた。

―――こんにちは、リチャード。まずは「INFRA」プロジェクトがはじまったキッカケについて教えてもらいたいのだけれど。

2009年後半の話だね。ちょうどその時期、写真に対してどう取り組んだら良いかわからなくなっていたんだ。いくつかの方向性をできるだけ試してみたけど、しっくりとくる答えが見つからなかった。だからすべてを投げ出してリスクを取りたがっていたんだ。アーティストだったら気持ちをわかってくれると思うけど、自分の作品に全く満足できなくて、なにかを壊したい衝動にかられるという異常な心理状態の中にいたのさ。特に、アーティストとしてこれまで築き上げてきたモノを壊したかった。支えになるモノを捨てて、完全に途方にくれたかったし、自分の方法論も捨てて暗闇の中に飛び込みたかった。居心地の悪い場所に行きたかったし、作品の中に自分を不快にさせる要素を入れたくなった。そうしたらまた生き生きとした自分を取り戻せるのでは?と思ったんだ。そのときは心臓が止まった状態のようで、自分の感性を暴力的にでも健全な状態に戻したくて、心肺蘇生機を自分の心臓に使うか使わないかの瀬戸際だった。

その頃、コダックの稀有な存在だった赤外線カラーフィルム「エアロクローム」の生産中止が発表されたんだ。これがとても直感的でパーソナルだけど、この不要と見なされたフィルムを調べ上げてみようと思った最初の理由さ。

それから慎重にいろいろとリサーチをするにつれて、赤外線フィルムにすごい歴史があることがわかった。軍の探索技術としてカムフラージュを探知するという本来の目的から、地球科学(地図作成法、水分学、農学、氷河学、鉱物学、考古学)におけるさまざまな応用などの歴史があるんだ。1960年代後半のサイケデリック・ミュージックの文化に与えた影響もすごいと思ったよ。

ボブ・ディランやジミ・ヘンドリックス、フランク・ザッパ、ザ・グレイトフル・デッドなどのアーティストたちが、赤外線フィルムの“ラリっている”色合いにほれ込んで、アルバムのアートワークやポスターに使用していたんだ。今日でさえも、麻薬による幻覚症状を連想させるんだ。僕みたいにマジックマッシュルームやLSDを試したことない人たちにもね。
人間の目では見えない光の分光を記録できるとう、個人的に赤外線フィルムの一番おもしろい特徴もやがて発見できた。すごくおもしろいと思って、コンゴ民主共和国の東で起きた忘れ去られた人道的惨事を検証するために赤外線フィルムを使わなければいけないと感じたんだ。国際救援委員会によると、“アフリカの世界大戦”と呼ばれるこのコンゴの癌のような紛争によって、1998年以降少なくとも540万人の命が奪われている。すごい死者の数だけど、僕らの多くはその戦争のことさえ聞いたことがない。 見えざる悲劇だね。もしかしたら、この見えないモノを調べることができる赤外線フィルムを使えば、コンゴにおける戦争に再びスポットを当てられるかもしれないと思ったんだ。実体のないモノ、隠れたモノ、見えないモノ、そして不明瞭なモノ。コンゴ民主共和国の東側で仕事をしていた僕にとって、これらすべてがとても重要なアイデアだった。そして「INFRA」プロジェクトはそういう核となるアイデアから発展していったんだ。