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写真家の肖像 赤城耕一「写真家による写真家コレクション」


杵島隆
(きじま たかし)

コンタックスを愛用していた杵島隆先生は、コマーシャルの大家。夜中の桜田門でヌードを撮影したことがあって話題になりました。当時は監視カメラなどない時代だったのでできたと思いますが、今同じことをしたらきっと大変なことになりますね。でも、そんな挑戦的な姿勢が僕はとても好きでした。先生は強面だけど実は柔らかい人で、この撮影をした時も非常にご協力いただきました。撮られ方もよくおわかりになっていましたし。

倉田精二
(くらた せいじ)

中判カメラでバリバリ撮影していた頃の倉田精二先生。この時は僕も若くて、28mmのワイドレンズで先生を撮っていたら「そんなに寄るんじゃない! そんなに寄ったら怖いだろう!」って言われてしまいました。以前、倉田先生は賞を取ったときに50万円の賞金を部屋中にぶちまけて、ヌードになった自分の姿をご自身で撮影したことがあります。そのセルフポートレイトを見て、すごいなぁと思った記憶がありますね。

横須賀功光
(よこすか のりあき)

コマーシャルの大家、横須賀功光先生。日芸の在学中から資生堂の仕事をしていたというくらいの天才肌で、広告写真を目指す若者にとって憧れの写真家でしたね。コマーシャル撮影の仕事の合間に時間を取って、どこにも発表できないのに自分の作品も撮っていたそうです。亡くなる前には、自分の作品を他人に渡したくなかったのか、保存していたご自身のポジにハサミを入れたというエピソードを聞いたことがあります。

立木義浩
(たつき よしひろ)

意外とカメラが好きな立木義浩先生。撮影の時はこちらの意図を察してくれて、「こういう時はもうちょっと寄るもんだよな」と言って、部屋にあったライトの近くに自ら寄ってくれました。40mmレンズが自分の視覚に合っている、と話していた先生は、某メーカーに40mmの単焦点レンズを作らせたそうです。僕も若い時は「こんなカメラを作ってくれ!」と言ってましたが、少しオトナになったので最近は静かにしています(笑)

石元泰博
(いしも とやすひろ)

石元泰博先生は、高価で稀少なブラックペイントのライカがお好きでした。昔、そのライカをお借りしてブツ撮りをしていた時、たまたま来た田中長徳さんがそのカメラを手にしたところ、ほんの少しだけ黒い塗料がはがれてしまったことがあります。「大変だ!」って騒いでいたら、田中さんはその塗料をポジ袋に入れて記念に持ち帰りました。石元先生のライカから剥離した塗料だって、ご自分で本にも書いていましたね(笑)

細江英公
(ほそえ えいこう)

細江英公先生のご出身は山形。この写真は山形の美術館で撮ったものです。今までに何度か細江先生を撮っていますが、はじめての撮影は僕が確か20代のときでした。その取材のときに標準レンズしか持っていなくて困っていたら、先生が独特の声で「コレを使え」と言ってレンズを貸してくれたことがあります。少し恥ずかしかったですね。でも、重鎮なのにとても温かい人なんです。今も大変お元気で、ご活躍されています。

田中長徳
(たなか ちょうとく)

田中長徳先生は、ニコンサロンで写真展を開催した最年少記録をお持ちの方。当時から天才肌だったのでしょう。後にデザインセンターにお入りになったときに、面接をしたのが高梨豊さんだったという話は有名ですね。この写真のようなカメラの構え方を見ると、使い慣れているなあ、って思います。持っているのは二眼レフのローライフレックスカメラ。上部を跳ね上げるとウエストレベルで覗けるので、それでポーズの形を作ってみました。

長野重一
(ながの しげいち)

フォトジャーナリズムの黎明期からの大家、長野重一先生。スチールカメラでジャーナリズムを撮っていては子どもを食わせていけない、だからムービー撮影もしたと聞いています。今ではそれほど珍しいことではありませんが、当時としては大変だったはず。以前、10年間くらい作品を発表していなかった時期がありましたが、『遠い視線』という写真展で作家として大復活を遂げました。先生の写真がとても好きで尊敬しています。

大倉舜二
(おおくら しゅんじ)

大倉舜二先生は、カメラを保存するためにマンションを買ったほどのカメラ好きです。とくにレンズの描写に拘っていて「ドイツのレンズはドイツの光を基準としているから写りがいいんだ!」と言われて、よくわからなかったけど「はいっ!」って返事した記憶があります。この時は手巻きのカメラで撮影していたら、「モータードライブじゃないのか!」って先生に突っ込まれて。持って行くカメラを間違えたなあ、とその時は思いましたね。

荒木経惟
(あらき のぶよし)

若き日の荒木経惟先生。ヨーロッパとかでは、日本の有名な写真家として最初に名前が挙がるほどよく知られています。僕は先生を3、4回撮りましたが、いつもサービス精神旺盛。この時は荒木先生が持っているコンパクトカメラを渡されたので「僕が撮っていいんですか?」って言ったら、「いいよ。でも俺のカメラで撮ったから俺の写真だ」って。なるほど、そういう理屈もアリなのかなって不思議と納得しちゃいました。

「写真家が写真家を撮るときって緊張しないの?」と聞かれたりしますが、あまりそういうことはないですね。撮影するときに、僕はわざと「もっといい顔してください」と言って少しイジメたりすると、写真家の先生方は「こ、こうか?」なんて言いながら表情をつくったりしてくれますし(笑)。撮り上手、撮られ上手という言葉があるように、僕も撮られるときはカメラマンの気持ちがわかりますから、相手の仕事がスムーズに終わるようになるべく協力するようにしています。

ちなみにもう少し自分が年をとったら、作務衣を着て伸ばした髪を後ろで縛って仕事をしようかなと思っています。そうすると風格が出るような気がするので。でも、ある編集者にその話をしたら「それだったらアシスタントは3人くらいいないと格好つかないですよ」って言われてしまいました。やっぱりちょっと無理なのかもしれません(笑)


STORY TELLER / 写真家達の物語 vol.37

フォトディレクターの推し写真集

まちスナ日和