写真家を志す人へ
テラウチマサトの写真の教科書
第11回 仕事に繋がる休日


写真の学校を卒業したわけでもない、著名な写真家の弟子でもなかったテラウチマサトが、
約30年間も写真家として広告や雑誌、また作品発表をして、国内外で活動できているわけとは?

失敗から身に付けたサバイバル術や、これからのフォトグラファーに必要なこと、
日々の中で大切にしていることなど、アシスタントに伝えたい内容を、月2回の特別エッセイでお届けします。

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ときどき、写真が趣味なのか仕事なのか、分からなくなることがある。

今年は、年明けからずっと富士山の撮影をしていた。
ふだんは、東京や地方に行くことが多く、なかなか富士山を撮る機会がない。三が日は、久しぶりにゆっくりと撮影を楽しむことができた。

僕の家は河口湖の畔にある。
年明け、まだ日も昇らないうちから、湖の周りを囲むようにして撮影に臨む人が多く見えた。
その人たちにはかなり申し訳ないが、自宅テラスからの撮影は暖かく、楽で、ポジションも良い。窓から富士山を眺め、面白い雲が来たなと思ったらスッとカメラを構える。そんな風にして、朝から晩まで夢中になって撮っていた。

しかし、もちろん適当に撮っているわけではない。
いずれは作品として発表しようと思っているから、カメラも本格的なもので、レンズも大型のものを使って真剣に撮影した。それは当たり前だけど…。

 

いつもと「違う」ことへの挑戦

よく「同じものを撮っていて飽きないんですか」と、聞かれることがある。
たしかに、普通の人からしたら、同じ風景をずっと撮っているように見えるだろう。

でも、撮っている最中や、長年狙っている被写体に、僕は一度だって飽きたことはない。
富士山の表情は、自然状況によって刻一刻変化し、さらにレンズを変えれば、撮れる景色もまったく違うものになる。同じ富士山は、二度と撮れないのだ。ちょっとエラそう!

写真をやっていると、だんだんこの風景なら望遠がいい、広角がいいということが分かるようになる。しかし今年はあえて、それとは違うことをやってみた。

ここは望遠だなと思うところを広角で試してみたりすると、自分の頭の中になかった景色が撮れる。失敗する時もあるが、予想していなかったいい写真が撮れたりすることも度々あって、自分で決めつけてはいけないんだと改めて感じた。
もう随分と長い間、富士山を撮影してきたが、今年もまた、新しい富士を発見することができた。

仕事ではなくプライベートで作品を撮るのは、写真展示のためでもあるが、腕を磨くという感覚に近い。時には仕事で撮影をしたものに、もう一度挑戦することもある。
作品を撮るたびに、以前自分が撮ったものを思い出し、反省が生まれる。
あの時はこう撮ったけれど、もしかしたらもっといい撮り方があったかもしれない。
反省は、じゃあ次はどうしたらいいのかということを明確にする
仕事ではない撮影の中で、いつも次の仕事へ目を向けている(つもり)。

 

休日の中にあるヒント

最近は、絵を描いて休日を過ごすことも多い。

もともと小学生から習っていて、絵を描くのは好きだった。写真であれば、例えば月が少し小さいから大きくしたいなという瞬間があっても、変えようがない。
しかし、絵だったら自由自在だ。自分の考えていることや感情をわかりやすく表現することができるのは、絵の素晴らしいところだと思う。

最近描いた絵・富士山を中心としたものが多い

 

僕は、見ている通りではないものを描きたいと思っている。写真は、その通りにしか見えないものだから。ハートの雪や大きく描いた「福」の字は、写真で表すことは難しいだろう。

写真とは違った表現が新鮮で面白い。そしてそれと同時に、偶然性のある写真の魅力も、さらに感じるようになった。絵と写真。似ているけれど、違うもの。
絵を描くことで、自分の中での写真の存在が強くなったような気がする。

休日の過ごし方は自由だ。
家でゆっくり富士山を撮ることと、絵を描くこと。
仕事には関係のないようなことの中に、写真家の仕事に繋がるヒントがある。