御苗場2019 ジム・キャスパー選出 受賞者インタビュー<八木香保里>
2019年2月28日(木)~3月3日(日)までの4日間、横浜・大さん橋ホールにて開催された日本最大級の写真展イベント「御苗場2019」。270以上の写真好きによる個性豊かな展示のなかから選ばれた作品を紹介します。
本記事で紹介するのは、ジム・キャスパーさんが選出した、八木 香保里さんの作品です。
八木 香保里
「夜になりませんように」
「いつかかわっていく景色」「寸志」
ジム・キャスパー(レンズカルチャー 共同創業者 編集長)選出理由
たくさんの素晴らしい作品に出合うことができて嬉しく思ってます。八木さんの作品は、私が好きだと思える点がたくさんありまして、その中でもいちばんよかったと感じたのは「感情」ですね。「感情」を写真で伝えている。
しかも、それがただ一つの方法ではなくて、スティルライフもあり、家族のポートレイトもあり、様々なものを通じて八木さんの感情を伝えているということがよかったと思います。美しい自然光の使い方など、様々な要素が重層されていて素晴らしい作品になっていました。
八木 香保里さんインタビュー
作品のテーマ、コンセプトを教えてください
今回はこれまで制作してきた作品を複数展示するためテーブルブースを選びました。作品それぞれにテーマやコンセプトが異なるため一つにまとめるのは難しいですが、どの作品にも共通して大切にしているのは「ありのままと向き合う」ことです。
この作品で一番伝えたいことはなんですか?
「日ごと、別個の生とみなすべし」、ストア派哲学者のルキウス・アンナエウス・セネカの言葉です。
この作品を撮影することになったきっかけを教えてください
辛いこと、悲しいこと、命との別れを経験しました。
憤りを事細かにぶちまければ、その後きっと生きづらくなる。受け止めた痛みを押し殺したままでいたら、いつか駄目になってしまう。「撮りたい」と願い続けてきたものも、私はもう二度と撮ることができなくなってしまった。
表向きは「いつも通り」を装いながら、一人になると涙が止まらない。心にぽっかり穴が開き、行き場を失ったような気持ちで日々を過ごすうち、次第に写真に対して胸が高鳴らなくなっていきました。
自分に残されたのは、カメラと目の前にある景色。それでも不思議と「それだけしかないなら写真なんて止めてしまえ」とはなりませんでした。「悲しいときにもカメラを持とう」。長らくモットーとしてきたことに、原点に立ち返りました。
楽しいときも悲しいときも、一人でいても、景色はいつも目の前にある。誰にでも平等に。それなら、どんなときも気になる景色を見えるかたちに残しておこうと思いました。空っぽになった自分が世界をどのように見つめ直そうとするのか、私はそれを写真を通して知りたかったのです。
作品をつくる上で苦労したことはありますか?
「これは」と感じたら撮る、制作の大半はこの作業の繰り返し。下調べや演出をせず「出たとこ勝負」で撮影することがとても多いです。
写真を組んだり並びを考えるとき、「こんな絵があったら」と悩むことがよくあります。演出して作りこんで撮影すれば理想には近づけますが、「ありのままを」という主軸にねじれが生じてしまいます。コンセプトと制作スタイル、これらを互いにどのように折り合いをつけていくかが課題です。
作品に対する熱い思いを語ってください!
「物を見たくない」とまで思わせるくらいのマイナスの感情が、制作の始まりです。
「光が綺麗だ」とか「風が気持ちいい」といった、世間一般では「些細だ」と流されがちな事柄が私にとっては時折訪れるチャンスのようなもので、それは現在も変わりません。世間の「普通」が私には「特別」で、それを逃したくなくてカメラを構えることは今でも少なくありません。
興味深いもので、これまで制作した作品のなかでも今回の御苗場で展示したものは、観てくださる方々が、私自身の意図しない感情を写真から引き出してくださることが頻繁にありました。お世辞にも明るい写真ばかりではありませんが、それでもちゃんと最後までページをめくってくださる方が多くいらっしゃいました。喜びの一枚から悲しみを、悲しみの一枚から喜びを見出してくださる。不思議な現象を目の当たりにしました。
自分の写真を人に見せる段階まで持ち上げるときに、暗い印象を与える写真を選ぶことに躊躇いがあるのは事実です。セレクトの段階で、「これを人に見せて良いものか」と立ち止るタイミングがあります。
私は写真に対して「優しくあるべき」とも「楽しくあるべき」とも思いません。悲しいものも辛辣なものも、汚いものも写真にあって良い。喜怒哀楽すべてを同じ高さに並べ、それらを分け隔てなく観察した結果が私の「作品」なのだと考えています。
今後目指していることなどあれば教えてください。
目前の景色に足を止める、足を止めるには必ず理由があるはずです。理由が直ぐに分からなくても、時が経って「これは」という気づきがあるかもしれません。目に見える物事と対峙し写真に残していくと、それらはいつしか私の心を描く言語のような存在になっていきました。
一人で撮影していて「寂しくなったことはない」と言えば嘘になりますが、これまで制作を続けてきて「一人でないと撮れないものがある」と理解できたときに、この寂しさを大切にしないといけないことも分かりました。これからも写真をライフワークとして可能な限り続け、自分にしかできない表現を追及していきたいと思います。
八木香保里
1974年京都府生まれ。京都橘女子大学大学院 文学研究科修了。東京都在住。生活の場に出合う身近な景色や人物、動植物などに被写体を絞るスタイルで制作。主に自身の生活圏内で撮影することから、実際に暮らす街や実家のある京都市内を撮影した作品を多く手掛けている。写真の見えるかたちを考える「四月と三月」(2016年より近一志氏と共作)。KPAキョウトフォトアワード2013・アワード部門 優秀賞(鈴木崇 選)、フォトバックアワード2014 最優秀賞など。
Webサイト:yagikahori.wixsite.com/photography