飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.5『日本写真史の至宝 別巻 光画傑作集』
『光画』は1930年代の「新興写真」の時代を代表する写真雑誌である。野島康三、中山岩太、木村伊兵衛、伊奈信男を同人として、毎号クオリティの高い写真作品と論文、エッセイが掲載された。
本書は国書刊行会から全6巻で刊行された復刻版写真集シリーズ『日本写真史の至宝』の別巻として刊行されたもので、『光画』掲載の全作品と主要論文がおさめられている。
明治末から東京写真研究会の会員として、絵画的な表現を志向する肖像やヌードなどを発表していた野島康三は、1930年代に入るとよりモダンな「新興写真」へと自分の作品のスタイルを大胆に変えていった。
その野島の意気込みがよくあらわれているのが、彼の出資によって1932(昭和7)年5月に創刊された月刊写真雑誌『光画』(聚落社、1933年1月刊行の2巻1号から光画社)である。
『光画』の同人は野島のほか、兵庫県芦屋にアトリエを構え、芦屋カメラクラブを主宰していた中山岩太と、
写真館経営を経て、花王石鹸広告部嘱託として広告写真やスナップ写真の技術を身につけた木村伊兵衛だった。
さらに東京大学美学美術史科出身で、『光画』創刊号にまさに「新興写真」のマニフェストというべき論文「写真に帰れ」を発表した伊奈信男が、1巻2号からメンバーに加わる。
創刊号から「女」と題する連作を毎号発表した野島康三、フォト・モンタージュの技法を駆使した耽美的な作風の作品を寄せた中山岩太、小型カメラ、ライカによる都市のスナップショットで新たな領域を切り拓きつつあった木村伊兵衛のほかにも、『光画』には多彩な写真家たちが参加している。
(左)・・・・ハナヤ勘兵衛 (右)・・・・中山岩太
堀野正雄、飯田幸次郎、佐久間兵衛らは、関東大震災以後に近代都市として生まれ変わった東京の光と影に目を向けた。
芦屋カメラクラブのハナヤ勘兵衛、紅谷吉之助、松原重三、高麗清治らは、オブジェを画面に構成していく実験的な作品を試みた。1巻5号には大阪・浪華写真倶楽部の安井仲治が傑作「水」を、2巻10号にはドイツから帰国した名取洋之助が、鶴見・総持寺に取材した「外国行通信写真の一部」を発表している。
(左)・・・・紅谷吉之助 (右)・・・・井上 章
(左)・・・・松原重三 (右)外国行通信写真の一部 名取洋之介
だが500部程度の発行部数だったという『光画』は、経済的な問題もあって、長く続けるのはむずかしかったようだ。1933(昭和8)年12月刊行の2巻12号で休刊に至る。
2年間で18冊しか刊行できなかったが、それでも『光画』の写真とテキストが、当時の日本の写真雑誌のレベルを突き抜けていたことは間違いない。
それはこの『光画傑作集』のページをめくればすぐにわかるだろう。
(右)・・・・堀田頼雄