女性写真家の草分け、山沢栄子が見せる独自の表現|飯沢耕太郎が選ぶ時代に残る写真集
山沢栄子は1899(明治32)年に大阪に生まれる。1926年に渡米し、サンフランシスコの美術学校で静物画のクラスを受講した。この頃、女性写真家のコンスエロ・カナガと出会って写真撮影に強い興味を抱き、助手を務めるようになる。1929年に帰国、31年に大阪市北区の堂島ビルヂングにスタジオを開設して、ポートレートを中心に撮影した。戦後は商業写真に専念するが、1960年代から次第に抽象写真に移行し、「私の現代」と題する個展を何度も開催した。1995年、96歳で死去する。
日本の女性写真家の草分け
山沢栄子は日本の女性写真家の草分けの一人である。アメリカで写真技術を学んだ彼女は、戦前の1930年代からプロ写真家として活動を開始し、大胆な画面構成のポートレートや商業写真を多数制作した。
戦後は1952年、三越百貨店大阪店に「商業写真山沢スタヂオ」を開設して活動していたが、55年にコンスエロ・カナガの招きでふたたび渡米する機会を得て、ニューヨークに半年間滞在した。この時に撮影した写真と、その前後の時期に日本で撮影した写真をあわせて、計77点を収録して刊行したのが『遠近』である。
独自の領域を切り拓く試み
山沢の写真撮影のアシスタントでもあった浜地和子が装丁・レイアウトした写真集は、「ニューヨーク6ヵ月の目」と題するパートから始まる。「ビルディングの窓」のような造形的な建築写真、「レキシントンアヴェニュ」のようなスナップ写真、「ジョン ローリング氏とモデル」、「コンスエロ カネガ女史」のようなポートレートなど、多彩な内容だが、ふたたびアメリカで自分のやりたい写真に取り組めるという歓びがみなぎっているように感じる。
後半のパートには、日本で制作されたポートレート、静物、風景写真が並ぶが、注目すべきなのはその中に「アブストラクト赤 黄 緑」、「アブストラクト 青と赤」、「アブストラクト 赤い線」といった、物体や植物を抽象的な色面のパターンとして構成した抽象作品が含まれていることである。戦前の「新興写真」や「前衛写真」の時代に、小石清、中山岩太、坂田稔らが、抽象表現の手法による写真作品を発表したことはある。だが、山沢の試みはより生々しい印象を与えるカラー写真の視覚的効果を最大限に取り込んだもので、誰にも真似ができないような独自の領域を切り拓いていた。
山沢は『遠近』刊行以後も、抽象表現により磨きをかけ、「私の現代」と題する個展を、1977~92年に東京、大阪、神戸、名古屋などでたびたび開催した。そこに出品された作品は、サイズがより大きくなり、さまざまな材質のオブジェを組み合わせることで、どこかユーモラスでもある、いきいきとした生命力の発露を感じさせる作品となった。『遠近』の収録写真は、後年に花開いていく山沢の写真世界が、どのように形をとっていったかを示す貴重な作例といえる。
2019年5月~7月には西宮市大谷記念美術館で、同年11月~2020年1月には東京都写真美術館で、生誕120年を記念した「山沢栄子 私の現代」展が開催され、その先進的な写真表現にあらためて注目が集まった。
山沢栄子『遠近』未來社、1962年