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HOW TO / 作品制作のヒント

写真家を志す人へ テラウチマサトの写真の教科書 第1回 気が付いたら写真家になっていた。


写真の学校を卒業したわけでもない、
著名な写真家の弟子でもなかったテラウチマサトが、
約30年間も写真家として広告や雑誌、また作品発表をして、
国内外で活動できているわけとは?

失敗から身に付けたサバイバル術や、これからのフォトグラファーに必要なこと、
日々の中で大切にしていることなど、
アシスタントに伝えたい内容を、月2回の特別エッセイでお届けします。

第1回 気が付いたら写真家になっていた
第2回 私の修業時代
第3回 9月18日(月)更新予定
第4回 10月2日(月)更新予定

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◆プロフィール
テラウチマサト
写真家。1954 年富山県生まれ。出版社を経て1991 年に独立。これまで6,000人以上のポートレイトを撮影。ライフワークとして屋久島やタヒチ、ハワイなど南の島の撮影をする一方で、近年は独自の写真による映像表現と企業や商品、及び地方自治体の魅力を伝えるブランドプロデューサーとしても活動中。2012年パリ・ユネスコにて富士山作品を展示。主な写真集に、「ユネスコ イルドアクトギャラリー」でも展示した富士山をとらえた『F 見上げればいつも』や、NY でのスナップ写真をまとめた『NY 夢の距離』(いずれもT.I.P BOOKS)がある。www.terauchi.com

 

第1回 気が付いたら写真家になっていた。

独立して軌道に乗った40代前半の頃

 

写真家になったのは自分の意志ではない

気が付いたら写真家になっていた。というのが、振り返っての正直な気持ち。イチロー選手の様に子供の頃からの夢を追いかけてきたわけではない。日々、歩き続ける内に、写真家という場所に着いちゃった! という感じ。始めた頃は、何度か写真をやめようと思うこともあった。その都度、辞めることのできない何かが起こった。出版社のアシスタント時代には、酔った上司から「とにかく写真を続けろ」と夜中に言われたり、駆け出しの写真記者として迷いながらも撮るようになってからは、「次から、写真はあなたにお願いしたい」と名の通った会社の社長秘書から電話を貰ったり。そんなレベルの数々のことが起こった。

誰かに悩みを相談したからとか、誰かに何かを伝えたとかでなく、うつろな頭で辞めようと考えているときに、それを打ち消すように脈絡もなく小さな出来事がジャストタイミングで起こった。辞めるにやめられない出来事。そのことが嬉しかったかといえば、むしろ「何故そんなことをいうのだろう」や「写真のどこを気に入ってもらえているのだろう」と不安になる気持ち。

だから写真家になったのは自分の意志ではないと思うようになった。笑われそうだが、運命や定めだったのだと感じている。神の意志、神のおぼしめすまま(今度は、馬鹿にされるかも)。でもそうなのだ。

有名な写真家の弟子でもないし、
写真関連の大学を出ているわけでもない。

写真家として本流を歩いてきたわけではない。脇から流れにヒョイと乗ってみた感じ。いつだってアウトサイダー。いまでもそう。有名な写真家の弟子でもないし、写真関連の大学を出ているわけでもない。親が著名でもないし、写真関連の人や組織から引き立ててもらったわけでもない(気が付いていないだけかもしれないが)。アウトサイダーでいることは、表現者としての利点でもあった。そして、神の意志と思うようになるほど、運の良さだけはあったし、今もそう感じる。

多くの人と同じ中で、ここまでこられたのは何だったのだろう? 運が良いとはどういうことだろう? 日々の中で大切にしていること、上手くいくやり方、振る舞い、態度、機材選び、好きなレンズ、営業の仕方、アシスタントに求めること、これからのフォトグラファーに必要なこと、海外での活動の仕方、そして写真術etc。アシスタントに話すように、この連載の中で書いていこう。

ただ面白いだけのこともあれば、参考になることもあるかもしれない。よくそんなことまで! と思えるような失敗経験やギリギリ勝ち抜いてきた危うい経験。みんな書いていこう。自分が選択しなかったもうひとつの人生を考えることにもなるだろう。プロとして生きてきた営みだから、この上なく生々しいものになるのかもしれない。こうご期待ください。

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