国際写真賞プリピクテ・ジャパンアワード受賞 志賀理江子インタビュー
昨年末東京にも巡回した国際写真賞プリピクテのジャパンアワードを受賞した志賀理江子。
受賞作となった、丸亀市猪熊弦一郎美術館で開催された
個展『志賀理江子 ブラインドデート』は、
暗闇の中で動くスライドプロジェクターの音と点滅とイメージが
鑑賞者の体に染みついていくような、
今まで体験したことのない感覚をもたらした展覧会だった。
大きな話題を呼んだ本展覧会について、
そして写真集『Blind Date』(T&M Project、2017)について話を聞いた。
text:小高美穂
©️Lieko Shiga
プリピクテ・ジャパンアワードとは
今回で2回目となるジャパンアワード。サステナビリティ(持続可能性)に関連する作品に取り組む40歳以下の日本の写真家を対象にしている。今回の審査員は、審査委員長の南條史生(森美術館館長)、審査員の笠原美智子(東京都写真美術館事業企画課長)、後藤由美(インディペンデントキュレーター)、川内倫子(写真家)の4名。受賞者には賞金100万円が贈られる。
©️Lieko Shiga
歴史からこぼれ落ちていくものを 掬い上げていきたい
――2017年に開催された丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での展示は、21台のスライドや音、光が展示空間全体にまるで舞台装置のような印象を与えていました。赤い光に満ちた空間は胎内にいるような不思議な静けさと怖さのようなものもありました。
©️Lieko Shiga
一方でバイクに乗るカップルの写真はプリントで構成されていましたが、スライドと写真のプリントでの展示の2つで構成することにはどのような思いがあったのかを教えて頂けますか?
©️Lieko Shiga
志賀 これまで、写真を撮る、プリントをつくる、展示をする、本をつくる、、、、という、イメージをつくる作業をしてきて、そのイメージは「消える」ものではありませんでした。
『ブラインドデート』という名の展覧会でしたが、「ブラインド」とは直訳すると、見えない、という意味があります。「ブラインド」の語源にはもっとたくさんの意味が含まれていますが、写真はまず、目で見るものとしてつくられてきました。
しかし、常々、写真は目で見るだけもののだろうか、とも思っていて、聞く、触る、味わう、、、というあらゆる感じ方の繋がりのなかに写真があったら、と考えたりしていました。
スライドプロジェクターを改造し、スライド一枚ごとに点滅させるようにして、写真を見る実験をした時に、写真のイメージが何もない真っ白な壁に映し出される、立ち上がる瞬間があり、その後に、消えていく、そしてまた、、と、繰り返しして、ああこれならば、イメージが消える、ということが私に何を意味するのか、すごくはっきりと感じれると思った。
写真、イメージが、消えるのを見る、感じる体験は、もしかしたら、闇や死、肉眼には見えないレベルの現実への考察なのかもしれない、と今回の展示方法に行き着いた感じです。
©️Lieko Shiga
――写真集ではバイクに乗るカップル達の写真の眼差しのみで構成していました。写真集と展示とでは鑑賞者が体験できることも全く異なると思いますが、写真集制作において意識した点はどのようなことでしょうか?
志賀 写真集の画面の中心に、カップルの後部座席に座る人の片目どちらかがあります。柔らかい紙を使うことで、閉じているときに折重なっている目を、1枚1枚はがしていくような体験に、また、本を開いてくれる方から、視線をずっと離さないように、と思っていました。
展示のカタログに関しては3月下旬に出来上がるので、今回の展示では写真集と、カタログで、見返せるように、思っています。
――展示では、会場の通路に展示されていたテキストがとても印象に残り、その文章を読んでいくことは展覧会の会場内で目にした世界にさらに深く潜っていくような経験でした。志賀さんによって写真と文章はどのような位置付けにあるのでしょうか?
©️Lieko Shiga
志賀 今回は展覧会に「ブラインド」という言葉を使っています。写真、展示空間、言葉、本、ワークショップ、リレートーク、ライブラリー、など、美術館の個展におけるプログラム全体で、その意味を等しく扱えるのなら「ブラインド」という言葉の意味が反転するように、使えるのかもしれない。
だから、言葉も、写真も、全く違うものでありながら、同じ核があることを、やってみたかった。なので、言葉にも、写真作品と同じように向き合いました。
――プリピクテ・ジャパンアワードの授賞式で、歴史からこぼれ落ちていくものを掬い上げることをしていきたいということを話されていたのが印象的でしたが、写真ができることの可能性はどのようなことにあると思いますか?
志賀 写真は、紙という「もの」から、どんどんと、体内に戻って行っているような気がします。今の所、スマートフォンやパソコンなどのなかにあるような感じで、でも保存先はクラウド、という名のサーバーだったりして、手では直接触らなくなったりして。
しかし、そもそも、写真は記憶からやってきたような。つまり目で見て、耳で聞いて、身体で感じて、それで身体に写真を焼き付けるように記憶したことを、思い出すことですが、そのことと、今の、たくさんの人が写真を見るときの感じは、どこか、遠回りして、身体に戻って行っているような気もしなくもない。
一方で私は写真の紙が大好きですが、その行為も残ると思います。それでも、写真は、その意味を、いつの日か自ら変えるような気もします。
(1月上旬、メールインタビューにて)
©️Lieko Shiga
志賀理江子/Lieko Shiga
1980年愛知県生まれ。1999~2004年ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインに在籍。2007~2008年には、文化庁在外派遣研修でロンドンで制作を行う。現在、宮城県在住。2008年、写真集『Lilly』『CANARY』(共に2007年)にて木村伊兵衛写真賞を受賞した。主な個展に2012年「志賀理江子 螺旋海岸」(せんだいメディアテーク)、2017年『志賀理江子 ブラインドデート』(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)などがある。www.liekoshiga.com