師がいるからこそ芽生えるものとは テラウチマサトが考える“師を持つということ”
テラウチマサトの写真の教科書vol.20 後編。
テラウチがインタビューのなかでよく問いかける「あなたにとって師とは?」という質問。なかでも印象深かった、イチローさん、山下泰裕さん、立川志の輔さんが答えた言葉とは?そこから考える“師を持つということ”について。
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あなたにとって“師”とは
多くの人に師と呼ばれる方に、インタビューをする機会がある。僕はその時によく、「あなたにとって師とはなんですか?」という質問をする。
様々な答えが返ってきた。う~んと唸るものから、じわじわとその意味が分かってきたものまで。たくさん紹介したいが、今まで問うた中で、特に印象に残っている3人について話そうと思う。
1人目は、イチローこと鈴木一朗さん。
彼は僕の質問に、「子どもの夢を邪魔しない人」と答えた。つまり、子どもがこうなりたいと言ったら、それは無理だと言わないということ。できるかもしれないね、そうなりたいならこういう練習をしなさいと促してあげることだろう。
生徒やあるいはアシスタントがなりたい像を語った時、師である僕は、彼らがそこに行けるように道筋を示しておかなければならないのだと、その言葉から知った。
2人目は、柔道家の山下泰裕さん。
ロサンゼルスオリンピックの準決勝で足を怪我して引きずりながら試合に臨み、ゴールドメダリストになった山下さん。彼にとっての師とは、「世界の広さを教えてくれる人」。
お前もすごいけれど、まだまだこんな人がいると教えてあげる。あるいは、それを自分で示してみせる。世界を体現するには、信じられないほどの経験と実績と苦労、努力が必要だ。写真に置き換えて考えてみると、なんて難しく偉大なことだろうと思った。
3人目は、立川志の輔さん。
最近インタビューと撮影をする機会に恵まれた。立川流の家元の故・立川談志の弟子である彼の答えは、「生涯越えられない」という一言だった。
世界で落語を広めたいと思って、海外に行く。そうすると、10年も前に談志師匠が来ていたと聞かされたそうだ。
さらに、師匠のエピソードは続く。談志さんは古典落語だけで、新作は一切やらなかった。「新作なんて面白くねえ」と言っている談志師匠を驚かそうと、志の輔さんは新作に力を入れたそう。
江戸時代の情緒から出てきた落語と、今の時代の落語のニュアンスは違うはずだと確信して、師匠の前で披露した。しかし、新作ができあがった瞬間に、人間の情緒という点においては、これは既に古典にあったと気付いてしまったのだそうだ。
新しくつくり上げたものの中に師匠の影を見た。つまり、それはまだ師を越えられないということなのだろう。
師を持つということ
彼らはきっと、みんな師匠を心底尊敬している。志の輔さんの答えは、決して度量で負けているという意味ではないと思う。
彼らの言葉の中には、師匠への尊敬と愛があった。ずっと自分はまだ届かないと思っているからこそ、いつまでも成長を続け、その姿は輝くのだろう。
師匠という存在は、何物にも代えがたいものだ。時には理不尽に耐え、苦しい思いをすることもあるかもしれない。
しかし、たった1つの言葉や、たった1つの行動、たった1つの作品から何かを学びとろうという気持ちは、師がいるからこそ芽生える向上心だと思う。
自分にとっての師匠を見つけてみよう。もしかしたらその人は、すぐ近くにいるかもしれない。