撮り続けて気づいた、新たな写真家の可能性
テラウチマサトの写真の教科書vol.22の後編。
写真家は、写真を撮るだけではない。そう語るテラウチが目指す、新たな写真家像とは?
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写真家の新たな可能性
そして、もうひとつ考えたいのは、“写真家”という職業の中身について。
写真家としての仕事は、写真を撮る、発表する、写真集をつくる、写真展を行なう、そして時に自分の技術を誰かに語る。その範囲でずっとやってきたけれど、最近は機材も進化しあまりに簡単に写真が撮れるようになってきたために、従来写真家がやっていた分野の仕事を、写真好きの人やアマチュアの人もできるようになってきてしまった。それによって、写真家の地位が下がっている部分があるのかもしれないと思っている。
でも、一方で僕は最近よく考えていることがある。
写真家としての仕事は、果たして本当に、それだけに収まるのだろうか。写真家のいつも俯瞰してものを見る姿勢、あるいはもの言わぬ写真に感情を乗せるための工夫は、写真表現においてのみ意味のあるものなのだろうか。
写真には、文字がついていない。声もついていない。しかし、僕たち「写真家」は、こう撮れば、見ている人がこんな感情を抱くだろうということを知っている。
それは、言葉に頼らないコミュニケーション力があるということでもある。その写真家が持っている豊かなコミュニケーション力を、写真ではない別の領域に活用する。そうすることで、写真家の新たな仕事になるんじゃないか、そうなれば面白いんじゃないかなと思って活動をしはじめている。
僕は写真家として今も写真作品を撮っているけれど、一方で写真を使った地域活性化や、写真を「観る」能力を活用したビジネススキル習得のための社内研修も手掛けている。写真家の持っている発見力、観察力といったものは写真家の新しい仕事として広がっていく可能性があると思っている。実際に、地方での地域活性化事業については、富山市では既に2019年で5年目に突入しているし、長崎や福島、和歌山など徐々に全国にひろがってきている。
苦難を越えた先にあるもの
もちろん、全て順調だったわけではない。写真を使う新しい事業を導入するまでにはとても時間がかかった。地域活性化にしても、ビジネススキル習得の研修にしても、「写真家がなんでそんなことやってるの?」とスタート当初は周囲の目は疑問だらけだった。
未知のもの、わからないものが受け入れられるのは、やっぱり時間がかかるし、厳しい批判にもさらされる。だからこそ、写真家が今までの固定観念をとりはらって、「カメラという道具は違う使い方もできるんだ」と写真の新しい価値を提案するのは、すごく重要なことだと思っている。
領域を広げることで、時代が進化する。
それを、写真家がどんどんやるべきだし、今、実際に自分で行動を起こしているつもり。その時は必ず反対意見があがって、新しいアイデアが壊されそうになることがあるけれど、それはどのジャンルでも起こる宿命だ。だから、決して反対意見に流されないこと。
苦難を乗り越えていく役割を、自分は持っているのかなと思っている。それが写真家の可能性であり、面白さだと思う。新しい写真家像を提供していくことで、若い世代の人たちが写真家という職業に興味を持ってくれたり、その活動の幅が今よりもっと幅広いものになればいい。そのために、これからも僕は写真家として自分ができることを探し続けたいと思っている。