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HOW TO / 作品制作のヒント

大勢の中に埋没しないためには?写真家を目指す人へテラウチ流アドバイス


テラウチマサトの写真の教科書vol.22。
今回は、「写真で食べていきたい、写真を仕事にしたい」という人へ、長年写真家として活動してきたテラウチマサトがアドバイスを贈ります。前編・後編の2編に分けてお届け。前編では、SNSで簡単に作品が発表できる現代で、大切にしてほしいことを語ります。

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誰に向けた作品なのか

現在、写真は多くの人々の生活の中に浸透したものになってきた。
写真を“楽しむ”という点においては、現代の写真は随分、気軽なものになっていると思う。お金をかけずともSNSなどで色々と写真を発表することができ、大勢の人に自分の作品を届けるツールがある。全く名前の知られていなかった人が、誰かの「いいね」をきっかけに世界中から支持される。そんなことが、夢物語ではなくなってきた。Instagramからはじまる作家が出てきたことは、とてもいいことだと思う。

そんな現代で、若者たちが「写真で食べていきたい、写真を仕事にしたい」と思った時、大切なことはなんだろう。
今回は、写真家として生きてきた僕が、これから写真家を目指す人たちに必要じゃないかと思っていることについて話したいと思う。僕の話が、若い世代のこれからに役立つものであれば嬉しい。

いちばん最初に考えてみてほしいと思うのは、表現の種類について。たとえば文章という表現には、「日記」「手紙」「小説」という風に、いくつもの異なる形がある。
「日記」は、自分の心に向かって書くもの。外に開いたものではなくて、内側に矢印が向く。「手紙」は、誰かに向けて書くもの。その誰かは基本的には一人か、少人数。そして「小説」は、見ず知らずの大多数、顔の見えない誰かに向けて書くものだ。
これは文章だけの話ではないと僕は思っている。まず気づいてほしいのは、写真にも文章同様、先に挙げたような種類が存在するということだ。

FacebookやTwitterに投稿している写真は、日記なのか。それとも特定の誰かに宛てたものなのか、何万人もの見えない人たちに向けたものなのか。一度、自分の立ち位置を意識してみた方がいいように思う。
もちろん、それが日記だと認められにくいというようなことではない。自分自身に向けたもの、特定の誰かに向けたもの、多数の人に向けたもの、それぞれの中で、きっとチャンスは同様にある。しかし、どこかで自分の位置を俯瞰しておかなければ、作品は独りよがりなものになり、たくさんの中に埋没してしまうような気がするのだ。

©Masato Terauchi

 

寄り添いながら俯瞰すること

どうしてこんなことをしているんだろうと、自分事として捉えているかどうか。友達に送るメッセージのように容易く写真を発表できる現代では、その判断が難しくなっているんじゃないかと思う。なんのために、誰に向かって作品を発表しているのか。この1枚を投稿するのはどうして?共感を呼ぶため?知ってほしいから?記録として残すため?

もしかしたら短い期間であれば、何も考えずともうまくいくことがあるかもしれない。突発的に人気が出たり、炎上したり。しかし、写真で食べていく、写真で認められるということは、長くそこに留まり続けなければいけないということだ。そのためにはやっぱり、誰に向かっているのかを意識することだと思う。表現している時は、たとえば誰かに寄り添っているかもしれないけれど、立場は俯瞰している。写真を撮るということは実はそういうことだと思う。

とても美しいものに出合った時、感動してすぐにシャッターを押す。しかし実際には、写真家はその感動がより伝わる写真を撮るにはどうしたらいいか、少し距離を置いて被写体を眺めるだろう。感動しているのは確かだけれど、その興奮している自分を冷静に見ている自分がいる。その意識が、なにより大切だと感じている。
たくさんあるツールを、自分がどんな軸で用いていくのか。物事をちょっと上から、俯瞰して見る癖を少しずつでもつけていってほしい。


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