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スマホの中の私の日常 vol.4 柴崎友香「明日は昨日ではない」

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変わりゆく日々の中で、今、みんなの目に映るものはなんだろう。簡単に知ることのできない他者の視点には、思考と経験の足跡が刻まれているはず。そしてそれは、最も身近なスマホに詰まっているのかもしれません。

第4回は、小説家の柴崎友香さん。スマホに保存された写真に、小説家はどんな言葉を与えるのでしょうか。あなたのスマホの中身、見せてください。


今の部屋に引っ越すとき、夕陽の見えるところを探した。

その前に住んでいたところは一階で、隣の庭が借景になって日当たりもほどよかったのだが、部屋にいると空が見えなかった。夕方に仕事が一段落して、スマホを手に取ってツイッターを開くと、「夕焼けがすごい!」など感嘆の一文とともに真っ赤に焼けた、あるいはピンクや紫に染まった空の写真がいくつも並んでいることがある。慌てて、ベランダから身を乗り出して空を見上げるのだが、そのときにはもう日は暮れきっていて、赤や紫はどこにも残っていない。


SNSが即時的なメディアだとはいっても、誰かが写真を撮って、投稿して、そしてわたしがそれを見るまでには時差があり、その僅かな時間の間に、頭上に広がっていたはずの美しい色は消え失せてしまうのだった。時にはそれが、虹のこともある。空を見上げて落胆するたびに、次は絶対に夕陽が見える部屋に住もう、と決意を固めた。

念願叶って、今の部屋は、仕事をしている机から空が見える。季節にもよるが夕陽もそのときの空のグラデーションも、ゆっくり眺めていられるし、スマホで写真もよく撮る。刻々と移り変わっていく色をとらえたくて、何度もシャッターを押す。わたしのスマホのアルバムには、夕暮れの空の写真が格段に増えた。


高校生のとき、「写ルンです」が流行って、写真を撮ることが身近になった。大学でたまたま友達について行って写真部に入り、マニュアルの一眼レフカメラにモノクロフィルムを入れ、現像して暗室でプリントするようになった。卒業して暗室が使えなくなると、コンパクトカメラに持ち替え、カラーフィルムを安いDPEに出してたくさん撮っていた。

わたしの日常生活の中にはカメラも写真もあったけれど、それでも、誰もが四六時中カメラを持ち歩くようになるなんて、思っていなかった。誰もが、どんなときも、どんな場所でも、カメラを持っていて、写真を撮れる。しかも、フィルムみたいに枚数の制限もなく、ほぼ無限にいくらでも撮れる。


そうしてわたしたちが、遭遇するとほとんど反射的に撮ってしまうのが、夕陽と、虹。それから、食べものだ。

以前のカメラでは、ごはんを撮ることはまずなかった。海外旅行の際の機内食を毎回写真に撮ってコレクションしている友人がいたけれど、それは機内食が普段は食べられないものであり、めったに乗らない外国の航空会社のめずらしいパッケージの食べ物だったりした。

今は、撮る。旅行に行った先で、友達と食べに行った店で、一人で入ったラーメン屋で、スマホを取り出して、四角い画面にとらえる。それは、SNSで誰かに見せるためでもあるし、記録のためでもある。まだデジカメが普及し始めだったころ、カメラを買ったばかりの友達とごはんを食べに行って、料理の写真を撮るつもりだったのに、お皿が出てくるたびに食欲が先に立ち、食べてしまってから写真を撮り忘れた事に気づいて大笑い、を繰り返したことがある。結局、何皿も出てきた料理もデザートも、撮れなかった。

ごはんが出てきたときに写真に撮るのは、食べたらなくなってしまうからだ。目の前にそれが運ばれて来たときにはすでに、失われることが決定されている。だからわたしたちは、それをスマホの中に残そうとする。


夕焼け空も、一瞬先には消えてしまうことを、わたしたちは知っている。同じ空は二度とない。そのことを、スマホで写真を撮るたびに、確認している。失われたものであることを思い知るために、出会うたびに、それを写真に撮る。

夕暮れの空の色は、いつも違う。毎日繰り返しのようでいて、同じものを見ることは二度とない。普段はわたしたちは、そのようなことをあまり考えない。「何気ない日常」「なにも起こらない」「代わり映えのしない毎日」という言葉を使うのは、寝て起きたら昨日と同じような日が繰り返されるはずだと、思い込んでいるからだ。


今の部屋に住んで、毎日夕陽を眺めていると、たった一日でその沈む場所が違うのがよくわかる。夏と冬ではまるで違った方角の空が焼ける。部屋から富士山がちらっと見えるのだが、「ダイヤモンド富士」と呼ばれるその頂上に日が沈むのは一年のうち二回だけ。翌日はもう、だいぶずれている。

太陽は動いて、また戻ってくる。翌年のほぼ同じ日に「ダイヤモンド富士」は見える。 夕陽の写真も、虹の写真も、誰のどの写真でも、よく似ている。

それでも、何度でも、出会うと撮ってしまうのは、それがすぐに消えて、二度とないからだ。スマホのカメラで残そうとすればするほど、わたしたちはそれを確認する。

ところで、わたしにとっていちばん美しい夕焼けは、1991年から1992年にかけての冬。1991年6月にフィリピンのピナツボ火山が噴火し、北半球の平均気温を0.5℃下げるほど噴き上げられた火山灰によって、この世のものとは思えない深紅や真オレンジ色の空を、あの冬は何度も見た。あのころは、スマホもデジカメもなかったから、今、インターネットを検索してもあの空の写真は、ほとんど出てこない。


柴崎友香

1973年大阪府生まれ。2000年に刊行されたデビュー作『きょうのできごと』が行定勲監督により映画化され話題となる。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、2014年に『春の庭』で芥川賞を受賞。小説作品に『百年と一日』『ビリジアン』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『週末カミング』『千の扉』、エッセイに『よう知らんけど日記』『よそ見津々』など著書多数。

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