フィンセント・ファン・ゴッホの「ほんとうのこと」とは? 写真家テラウチマサト氏が巡った、ゴッホゆかりの地を紹介!
2019年10月11日(金) 〜 2020年1月13日(月)まで、上野の森美術館にて開かれるゴッホ展。
度々、様々な美術館で展覧会が開かれているファン・ゴッホですが、皆さんはファン・ゴッホのことをどのくらいご存知でしょうか?
「ひまわり」を描いた画家であり、自らの耳を切った狂気の天才。高名な画家ということは知っていても、どんな人生を送ったのか、その詳細を知らない人は多いのではないでしょうか。
ゴッホがカメラを持ったらどう撮っただろう?
写真集『フィンセント・ファン・ゴッホ ほんとうのことは誰も知らない』は、写真家のテラウチマサト氏が、かねてから好きだったゴッホの人生を追い、オランダとフランスのさまざまな街へ季節を変えて訪れ、撮影した写真集です。
現在、撮影禁止とされているゴッホが最後に暮らしたラヴー亭の屋根裏部屋も、特別に許可をいただき撮影。浮世絵が好きで、日本に憧れていたというゴッホ。そんなゴッホがカメラを持ったらどう撮っただろう?と、イマジネーションを膨らませて紡ぎました。
ファン・ゴッホの人生で起こった「ほんとうのこと」とは? ファン・ゴッホが暮らした地の写真を見ながら、思いを巡らせられる1冊です。
ゴッホゆかりの地を巡る旅へ
テラウチ氏が撮影で巡ったのは、オランダ・ニューネン、フランスのオーヴェル・シュル・オワーズ、パリ・モンマルトル、アルル、サンレミ・ド・プロヴァンスです。
ニューネン(オランダ)
1880年27歳で突然、画家を目指し始め、死後数十年でその名が世界中に知れわたったファン・ゴッホ。その彼の処女作ともいえる「ジャガイモを食べる人々」をはじめ全作品の4分の1を描いたのがオランダ・ニューネンの街と言われています。
写真は、ファン・ゴッホの父、テオドルス・ファン・ゴッホが牧師として働いていたの教会。1883年より両親と同居を始めたファン・ゴッホは、この近くにアトリエを持っていました。
パリ、モンマルトル(フランス)
印象派と出会い、ロートレックやポール・ゴーギャン、エミール・バーナードなど進歩的で評判高い画家たちとも知り合いました。様々な絵画様式を実験的に試みてファン・ゴッホの画家人生が始動した街です。
今も昔も変わらない、美しいパリの街並みの写真も数多く掲載しています。
アルル、サンレミ・ド・プロヴァンス(フランス)
日本の空気や光を感じ、14カ月以上にわたり滞在した街。ポール・ゴーギャンと「黄色い家」を借りて暮らしていました。ゴーギャンとは絵画論争に明け暮れ、結果、ファン・ゴッホは自らの左耳を切りとってしまいます。ここでファン・ゴッホは、画家としての絶頂期を迎えました。
ファン・ゴッホの描いたレジネル橋は、橋守の名前を取って 「ラングロワの橋」と呼ばれています。当時から移設された跳ね橋を、ファン・ゴッホがカメラを持ったならこう撮ったのではないか、と撮影しました。
オーヴェル・シュル・オワーズ(フランス)
パリから約35キロ、セザンヌ、ピサロ、ルノアールも愛した自然豊かな美しい村。死を遂げる迄の70日を過ごしました。写真はガシェ医師の家の庭からの眺め。高台からオワーズ川や谷、その周辺の家々が見えます。
ゴッホはこの、豊かで美しい風景の中で80点近い絵を描き、やがて自らを銃で撃ち、永眠しました。
他にも、写真集『フィンセント・ファン・ゴッホ ほんとうのことは誰も知らない』には、ファン・ゴッホの人生を巡った数々の旅の写真とエッセイを収録しています。
■定価:4,637円(+税)
■仕様:上製本/角背/W182mm×H250mm/104ページ/日英併記
■帯文:「もしもゴッホが生きていたら…。そんな想像から紡がれた、テラウチマサト氏独自のイマージュ」正田倫顕(ゴッホ研究者/『ゴッホと〈聖なるもの〉』(新教出版社) 著者)
【初版完売】第2刷、好評販売中
関連イベント
【 10/14(月・祝)】東洋学園大学にて秋の特別講座開催!『アートを楽しむ~ゴッホと浮世絵に詳しくなる~』
文京区本郷にある東洋学園大学にて、芸術の秋に向けて、“アートを楽しむ” 特別講演を行います。どなたでもご参加可能ですのでぜひお越しください。(要事前申込)詳細はこちら
あわせて読みたい
https://phat-ext.com/up-date/32980
https://phat-ext.com/up-date/38057