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写真家 赤鹿麻耶の脳内をめぐる


本記事は、写真評論家のタカザワケンジさんによる「写真展・写真集の感想をSNSで書くための文章講座(4期)」にて写真家の赤鹿麻耶氏を受講生がインタビューし、執筆した原稿の中から選ばれた優秀作品です(インタビューは2020年10月16日に講座内で実施)第5期、途中参加・単発参加募集中!

テキスト=chihiro.K

唐突ではあるが、本音のところ私は関西人があまり得意でない。“あまり得意でない”と遠回しな言い方をしたが、ぶっちゃけると…苦手である。こんなことを言うと、あらゆる方面から大炎上必至となろうことは覚悟の上ではあるが、平にご容赦いただけると幸いである。

「関西」というとエリアは広いが、いわゆる「でんがな」「まんがな」の関西=近畿地方の一部である(具体的な地域名はあえて避けるとしよう)。何故か? それは、あの独特な曖昧さが、いまいちしっくりこないからである。どこまでが本気でどこからが冗談なのか? 本音と建て前、表と裏、「ほな、またいつか」て、いつやねん!などなど、こういった文化は⾧野の田舎町で素直にすくすく育った私にとって懐疑心以外の何物でもないのである。

さて、本題へ移ろう。今回、2011年写真新世紀グランプリ受賞者である写真家 赤鹿麻耶氏へインタビューする機会を設けていただいた。オンライン形式で、私を含め総勢8名のインタビュアーが順に質問をしてゆくという、赤鹿氏にとっては苦行この上ないインタビューである。ここからは、私のインタビューに加え他7名のインタビューも踏まえ話を進めてゆこう。

赤鹿氏については、事前にリサーチをさせていただいた。インタビューの開催が決まった直後、赤鹿氏の作品『氷の国をつくる』が出展されている「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」展が東京都写真美術館で催されているという情報を得、まずはそれを観させていただくことにした。展示ブースいっぱいに広がる赤鹿ワールド。よくわからないけど、何か伝わるものがあるという感覚を覚えつつ赤鹿氏の独特な世界観を体感した。
赤鹿麻耶 作品『氷の国をつくる』より

その後、写真新世紀グランプリ作品である『風を食べる』も拝見させていただいた。白目を剥いて水に浮ぶ女性の傍らに火のついた紙が添えられている写真や、川岸の岩の上に白いパジャマのような衣装の女性が立ち、川に向かって何かを投げ込んでいるのか?その先に白煙が上がっている写真など、一目では理解不能であるが何か訴えかけてくるような、そんな独特な赤鹿ワールドがここにも広がっていた。
赤鹿麻耶 作品『風を食べる』より

まだ、 会ってもいないこの赤鹿麻耶という人物は、もしかしたらとっても個性的でエッジの効いた性格の方なのではないかという妄想が私の中で勝手に広がっていった。そして、プロフィールにも目を通してみた。出身地は大阪府…。

「大阪!!」そう、まさかの大阪、関西人である。私の妄想が決してプラスな方向へ働かないことは火を見るより明らかであるのは想像に難くないであろう。

そうして迎えたインタビュー当日。今、私の目の前にいるのは“あの”赤鹿麻耶である。緊張しながらも、平静を装いご挨拶させていただいた。さてその印象は…普通。失礼な言い方ではあるが、拍子抜けするほど普通である。私が事前にネガティブ全開で妄想していた“あの”赤鹿麻耶とは真逆に位置する物腰の柔らかい笑顔がステキな可愛らしい女性で、私の妄想と緊張を一気にすっ飛ばしてくれたのである。しかし、同時にこの朗らかな人柄からあの独特な世界観がどのようして生まれてくるのか?という疑問がそこはかとなく湧いてきたのである。

そんなこんなで、インタビューがスタートする。最初に私が赤鹿氏へ投げかけたのは、「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」出展作品の『氷の国をつくる』についてである。先にも述べたように、本作品については「よくわからないけど、何か伝わる」を感じてきたわけだが、まずはその部分を明確にし、赤鹿氏の脳内に迫ろうと思ったのである。
東京都写真美術館「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」
(会期:2020年7月28日~9月22日)
赤鹿麻耶 作品『氷の国をつくる』展示風景

――展示ブースの空間づくりについて、他の出展者(赤鹿氏以外に4組の作家が出展)と比較しても独特な空間づくりをしていたが、どのような狙いがあったのか?

赤鹿 展覧会をするとき、なぜいつも撮影時の身体性のようなものをそのまま空間に持続させることができないのか? と考える。今回、撮影で訪れた中国ハルビンの氷雪大世界というお祭りの写真を綺麗に額装し並べて展示することはできたが、そこでの経験はもう少し複雑で、感覚的なことや自分の感情が移る間に起こる出来事を観せたいという思いでつくった。

撮ってきた写真をどんなに綺麗にプリントし、どんなに素敵に並べても、それはただの思い出写真である。赤鹿氏の場合、その場(撮影地)で経験した感覚や感情を、写真の表現手法や絵、言葉など思いつく限りの媒体を駆使し精いっぱい表現する。それが私の抱いた“何か伝わる”に繋がるのだと感じた。

そして、赤鹿氏の日常におけるものの見方や思考についても伺ってみた。

赤鹿 自分が撮影したものや出会ったことの中から疑問が生まれ、それを解決するために撮影するとまた新たな疑問が生まれる。その繰り返しで途切れることなく続けてきた。これまで展覧会も写真集の数も多い方では無いが、それはその繰り返しが切れ目なく進んでしまい区切りがつけられないため。今回の『氷の国をつくる』でも、そこで生まれた疑問からまた別の場所へとつながって、今も途切れることなく続いている。

つまり、赤鹿氏にとって作品づくりとは疑問に答えてみることであり、普段から自分の中の「なぜ?」に意識を向けて人や物事と対峙しているということであろう。それが絶えず繰り返され更なる作品づくりの源泉となっているのである。

また、赤鹿氏は普段からよくメモを取るのだという。その場で気になったことを言葉のみならず、時にはスケッチなどもして記録に残しているそうだ。カフェで近くにいる人の会話が気になったらすぐにメモを取り、⾧いときには 5~6 時間滞在していることもあるのだとか。良いなと思った瞬間に写真を撮れることがあまりなく、このメモを元に後日それらを再現して作品にしてゆくこともあるのだという。

その他にも赤鹿氏は、歩くのが好きで海外へ行くと1日5万歩くらい歩く時があるそうだ(おったまげ!である)。歩いていれば、自ずと被写体が見つかり、そこで何かが生まれる。最近では、写真家というより専ら散歩家だと笑顔で語っていた。

今回の『氷の国をつくる』では、写真以外に赤鹿氏が描いた絵や言葉も展示されていた。彼女にとって旅での写真は被写体を自分の都合に寄せて盗んではいないだろうかと疑う感覚があり、自分では何もつくっていない、ある意味、罪悪感のようなものを感じている。絵画や音楽はゼロから立ち上げてみるというところで前々から憧れており、絵を描いてその“ゼロから立ち上げる感覚”というものを一度味わってみたかったというのだ。

また、写真でも自分の手から生み出せるようなことができないかと常に考えているのだという。今回、絵を描いたことにより、絵画も写真もイメージを生み出すことの難しさは一緒だと知ることができたと語っていた。
東京都写真美術館「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」
(会期:2020年7月28日~9月22日)
赤鹿麻耶 作品『氷の国をつくる』展示風景

私は、過去に作曲をしていたことがあり、そこから写真の世界へ入った。赤鹿氏とは逆のアプローチである。作曲のプロセスの中では、情景を静止画でイメージしながら行っていた。写真の世界に足を踏み入れてから、撮影するときにメロディをイメージすることがある。そうやって相互に補完しながら作品をつくり上げてゆく感覚なのかもしれない。

言葉については、本来学芸員とのコンセンサスのためにつくったシナリオで、当初展示する予定はなかったという。しかし、撮影で出会った人々や景色など各主人公たちのバックストーリー、自分に起きた出来事をなかったことにはしたくないと展示するに至った。

本来、写真というものは言葉を使わず、ビジュアルからそこにあるシナリオを読み取ってもらうような面白さがあると感じているが、今回のテーマは写真だけで伝えきれないものがあると同時に写真と言葉を組み合わせたとき、また別のものが立ち上がってくるのではないかと考え、今回は言葉の展示を採用したとのことだった。

さて今回、写真家 赤鹿麻耶氏へのインタビューを⾧時間にわたり行ってきたわけだが、一通り終えて感じることは、常に思考を巡らせ、疑問を持ち、でも芯はブレることなく絶えずチャレンジし続ける。 一見、朗らかだが内に秘める熱いものを感じるパワフルな人だということだ。

また、赤鹿氏は途中こんなことも語っていた「作品制作を通して自分の思考は5~10分でどんどん変わる。過去に捕らわれず今を大事にする。そして、5分後の自分は今の自分より良い人間になっていると実感する」と。

常に先を見て、新しい自分にチャレンジする。そうして、進化し続ける彼女の次回作が今から楽しみである。あなたも是非一度、赤鹿麻耶氏の作品に触れていただき、彼女の脳内に思いを馳せ、その奥行きに浸ってみてはいかがだろうか?

冒頭で述べたように、私は関西人があまり得意でない。が、この赤鹿麻耶という“関西人”は、私が今までモヤモヤと抱いてきた「関西の曖昧さ」を感じさせることなく、彼女の誠実な人柄や熱い想いをダイレクトに受け止めることができ、とても清々しくお話しさせていただくことができた。

そもそも、私のこのねじくれ曲がった関西イメージがいけないのは重々承知だが、それを少し解してくれた素晴らしい写真家 赤鹿麻耶氏に出会えたことへ心から感謝したい。そして、この対話を通じて、私自身の捻くれた性格は何とかした方がいいかも知れないという気づきまでも与えてくれたことを最後に添えて括りとしたい。

テキスト= chihiro.K
長野県出身。インディーズバンドのドラマー兼作曲家として活動する傍ら、舞台の音響照明エンジニア及び演出家として約15年間活動。その頃手掛けた宣材写真の撮影をきっかけに、独学で写真を始める。現在は、PHaT PHOTO写真教室で学びながら写真作品の創作や写真関連の執筆を行う。
赤鹿麻耶/あかしかまや
1985年、大阪府生まれ。2008年関西大学卒業。10年ビジュアルアーツ大阪写真学科卒業。11年作品〈風を食べる〉で第34回写真新世紀グランプリ受賞。大阪を拠点に海外を含む各地で個展、グループ展を開催。
画像提供(展示風景):東京都写真美術館

赤鹿麻耶 写真展『ときめきのテレパシー』が3月24日(水)~4月19日(月)まで
ホテル アンテルーム 京都 GALLERY 9.5(京都府)にて開催中


STORY TELLER / 写真家達の物語 vol.37

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