写真家を志す人へ テラウチマサトの写真の教科書 第14回 ポートレイト撮影に必要なコミュニケーション法
写真の学校を卒業したわけでもない、著名な写真家の弟子でもなかったテラウチマサトが、
約30年間も写真家として広告や雑誌、また作品発表をして、国内外で活動できているわけとは?
失敗から身に付けたサバイバル術や、これからのフォトグラファーに必要なこと、
日々の中で大切にしていることなど、アシスタントに伝えたい内容をお届けします。
2000年に創刊した「PHaT PHOTO」。
テラウチは創刊から68号まで約70名の旬の俳優、モデル、タレントを撮影してきた。
上掲の表紙は、石原さとみさん。立ち位置以外に指示はほとんど出さず、表情や動きは彼女に委ねるスタイルで撮影した。
【テラウチマサトが語る撮影ウラ話】
まったく唐突に撮りだしたのには理由がある。石原さとみに不安になって欲しかったから。「すごい静かですね。音楽かけていいですか」と彼女は言って、自分が持ってきたiPodの音量を最大にした。僕はまた無言でシャッターを切りはじめる。(中略)不安や無言の空気の中で、石原さとみ自身が“自分で何とかしなきゃ”みたいなものを発光させていく過程を撮りたかった。…
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仕事に必要なコミュニケーション術は、ひとつではない。
写真家には写真家の、編集者には編集者の、あるいは経営者には経営者の独特なコミュニケーションがある。
冷たいコミュニケーション
僕が写真家としてコミュニケーションをとるときに、いちばん重要だと思うのは、その会話がよい写真を撮るための会話であるかということだ。
たとえば女優さんを撮影する場合も、素の表情をおさえるべきなのか、僕との会話の中で徐々に打ち解けて仲良くなってきたときを撮るべきなのか、そのときにおける最善は何なのかを考える。
もし、素の表情を撮った方が読者が喜ぶはずだと思ったら、僕はあえて冷たいコミュニケーションをとるだろう。きちんと挨拶もせず、相手への指示は少しだけ。
失礼な態度ではあるが、どうしたらいいんだろう?という困惑の中にその人を置くことによって、その素を引き出すことができるような気がしている。
写真家に必要なのは“褒める”というコミュニケーションではない。
もちろんときには褒めることも必要だが、それがすべてではないと思う。
ポートレイトを撮るとき「可愛い」と言いながら撮影すれば、被写体になった女性は、自分の思う「可愛い」顔をする。それは素晴らしい瞬間かもしれないが、きっと僕ではない写真家が撮ったときも同様だろう。
可愛いけれど、ぜんぶ同じ顔。それだと写真を撮る意味がない。
褒めないコミュニケーションの中で、その人と関わったからこそ起きる変化を僕は切りとりたいと思っている。それで女優さんにこっ酷く怒られたこともあるけれど、そういうときこそ良い写真が撮れていたりもする。
大切なのは、相手にどう伝わったか
人間はそう簡単には通じ合えない。
それを理解したうえで、どうコミュニケーションを図るかを考えることも、写真家として大切なことだ。
たとえば、被写体の女性に向かって「本当に可愛い」「素敵だね」と素直に言ったとしよう。自分としては褒め言葉のつもりで。
でも、言われた相手がなんだか嘘っぽい、わざとらしいと感じたとしたら、その伝わったことがコミュニケーションだと思う。
相手に自分の正確な気持ちを伝えるのは難しい。
だからこそ、言葉だけではないものでそれを補おうと努力することが必要ではないだろうか。
相手の目をきちんと見て、笑顔を向ける。それだけで、相手への伝わり方はきっと違うはずだ。
もの言わぬものにものを言わせている写真家という仕事だからこそ、ひとつひとつの言葉や、喋る時の抑揚、目や体の向きなど、そういう分かりやすいものでコミュニケーションをしていくことが必要だと思う。
伝わったことがコミュニケーションだということを理解して、体全体で自分の思いを表現する。
そうしなければ、気持ちの伝わる写真は撮れない。
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