ある人物を通して描く死生観
奥山由之が次に進む写真表現とは――


広大なスペースに展示された奥山由之『As the Call, So the Echo』。
いままでの奥山由之という写真家のイメージが揺れ、
作品の大きな渦の中に巻き込まれていくような、新しい感覚を伴った展覧会だ。
写真新世紀の優秀賞を受賞後、数々の写真集を出版し、展覧会を開催、
また広告やファッション、映像などの分野でも幅広く活躍している奥山は、
いまどのように写真と向き合っているのだろう。
写真評論家のタカザワケンジが新作『As the Call, So the Echo』について訊いた。

奥山由之『As the Call, So the Echo』展は2017年12月25日(月)までGallery 916にて開催。

テキスト=タカザワケンジ 写真=清水純一

 

意識したのは、写真の流れをどう見せていくか

タカザワ Gallery 916での展覧会は写真集と同じく4部構成で展開されています。映像作品を含め、広い空間を使うことで奥山さんが表現しようとされていることが明確に伝わってきました。展示と写真集、どちらを先に考えられたのでしょうか。

奥山 写真集が先でした。もともと大好きなギャラリーだったのですが、写真集の刊行と同時に写真展を開こうと考えたときに、この作品にはどうしてもここがいいと思いました。写真集にしか入っていない写真もあるので、展示と写真集、それぞれに意味が見出せたと思っています。

タカザワ 展示に当たって意識されたことはありますか。

奥山 いままでは、展示全体でイメージを1つ伝えるという意識がかなり強くて、散文詩というか、全体で何かが伝わればいいなと思っていました。しかし、今回の写真集は4つのシークエンスに分かれているので、展示でもいままで以上に写真の流れについて意識しました。

タカザワ これまで展示されてきた場所よりも天井が高く、広い空間ですよね。

奥山 いままで焼いてこなかったような大きなサイズ、縦2m近くのプリントもあります。ですが、意識していたのはやっぱり流れをどう見せるか。観た人の意識がどう流れていくか、ですね。

会場に入るとまず大きなサイズの謎めいた写真が眼に飛び込んできます。写真集で見ても不思議なイメージでしたが、展示では大きいサイズにプリントし、アクリルで覆われているためにその抽象度が増したと感じました。

ファッションショーを写した抽象的なイメージから展覧会は始まる

 

奥山 4章立てのうち、1章と3章はプリントのサイズを大きくしたり、中心線を揃えず目線を少し高くしています。プリントは光沢紙。アクリル装にすることで反射をつくっています。例外的に2章と4章と同じ額を1点ずつ使っていますが、アクリルを入れてやはり反射をつくっています。

とくに黒みの多い写真を大きくすることで、見ている方が写り込む。見ているというよりは見させられているというイメージにしたくて。走馬灯のように思い出してしまうとか、いつの記憶だったかわからないけれど、パッと思い出してしまう記憶の片隅にこびりついている様な情景に見えれば。

タカザワ フラッシュバックするような感覚ですね。2章と4章は村の日常的な生活を描いていて、ほぼ時間順に写真が並んでいるので、ドキュメンタリー写真として見ることもできる。しかし、1章と3章は抽象的、演劇的なイメージです。

奥山 1章と3章については、写真の内容もそうですが、展示としても少し見にくくしたいというのが前提でした。一方、2章と4章は半光沢のプリントをガラスやアクリルは入れずに額装し、少し位置を下げて等間隔で配置することで、落ち着いて見られるようにしています。村の生活を身近に感じてほしいからです。

村の日常を撮影した2章は落ち着いた空間に

 

タカザワ そもそもこの作品をつくることになったきっかけを教えてください。

自分が撮ったものに見えなくなってしまった

奥山 もともとは3章を撮り終わるまでは作品としてまとめる前提はありませんでした。

ちょっと話が長くなりますが、さかのぼると、以前から写真をたくさん撮っていると、ここに何が写っているか、どういうものに自分の琴線が触れているのか、が言葉になってしまうことが気になっていました。

『BACON ICE CREAM』(写真集、2016年1月にPARCO MUSEUMで展覧会)の写真を撮っていた頃は、とくにそれが顕著で、言葉に落とし込む直前で止めようとしていた。言葉ではなくそこに見えるものだけをつないでいって、5年後、10年後に写真を見返して、あのとき撮った写真にはこういう意味があったんだな、とわかればいい。それでこそ真理が見えてくるような気がして。

ただ、写真集や写真展を見た人は当然何かを思うので、そこには言葉が発生するじゃないですか。すごく嬉しいことなのですが、思っていたよりもたくさんの方々が見てくださって、考えを伝えてくださったりすると、こちらが言葉や答えを用意していないだけに戸惑いました。

作品がだんだん自分から離れていっちゃうというか、自分が撮ったものに見えなくなってしまった。それが原因で撮れなくなって、休んでいたというか、何もしていなかったんです。

そんなとき、友だちの哲朗さんという人が長野に移住して、遊びに来なよ、と言ってくれたんです。お子さんが生まれたタイミングで移住したのでご家族がいて、服をつくっていたのでブランドのスタッフさんも一緒に移り住んでいた。世帯数が少ない小さな村でお互い助け合う関係性をつくりあげていました。
©Yoshiyuki Okuyama

隣の家の人とか、村の人との関係を大事にする生活で、そういう景色を久しく見ていなかったし、自分にはそういうものが完全になくなっていた時期だったので彼らの関係性がすごくきれいな球体に見えました。その人たちを撮るのはごく自然にできて、撮っているうちに2章の写真が立ち上がってきました。

タカザワ 村の生活を撮影した2章、4章には、これを撮っているのは誰? と感じる写真がありました。奥山さんの眼を感じさせる写真だけだなく、哲朗さん、つまり夫、父の目線で撮影したような写真があったり、地元の人たちや外から来た人が撮ったような写真もある。複数のまなざしを感じました。

©Yoshiyuki Okuyama

奥山 撮れる距離から撮ろうと思いました。シャッターボタンを押すときに考えていることは、前よりも少なくなったと思います。ゼロじゃないですけど。

それまでは、写真集だけじゃなくて展示さえも、この写真はきっとこういう写真になるだろうなと思いながら撮っていくクセがあって。ぜんぶ思い通りにならないまでも。

それが、時間が空いて久々に撮ったときに、クリアに被写体が見えた。写真の先に写っている人がちゃんとそこにいた。

いままでだったら、写真に写っているものはある意味でどうでもよくて、むしろその先にいる自分を見てほしいと思っていたんです。自分はこれをこう捉えていて、こう表現しているということが大事で、写真の奥に僕が立っていた。

そういう点で、いまタカザワさんがおっしゃっていた、いろんな視点に見えるというのは、とにかく僕を見てくれというよりは、撮っている方によって、僕の距離感を自然に変えていたんだと思います。

 

「撮る」と「押す」が混じっている

タカザワ お祭りの写真なんか素朴で、奥山さんが撮ったとは思えない(笑)。それが新鮮だし、写真の原点だと思いました。

©Yoshiyuki Okuyama

奥山 1回バチッと途切れたものが再生され始めた時期だったんですね。写真を見返すと、撮れる距離で撮れるものに向けてシャッターボタンを押していた。「撮る」ことが頭で考えてすることだとしたら、「押す」という感覚に変わっていました。まず押す。押した写真のなかから選ぶときに初めて考えが生まれる。

いままでは撮るも押すも両方同時にやっていたのですが、今回は押してからベタを見て、そこで写真を選びながらはじめて「撮る」という行動をしている感覚がありました。

タカザワ 2章と4章は村の生活を描いていて、田舎暮らしはいいね、と感じる人もいると思います。でもそれだけに終わっていないところがいいと思いました。ガードレールの写真のように奥山さんらしい目線もある。奥山さんがいまおっしゃった言葉を使えば「撮る」と「押す」が混じっている。

©Yoshiyuki Okuyama

そのうえ、さらに抽象的な1章と3章があることで世界が広がる。とくに3章の球体に見える写真は全体のなかでキーになっていますね。球体と捉えれば地球のようにも見えるし、その前提をなくせばトンネルのようにも見える。赤ちゃんの写真があるから、産道を連想しました。

サイズが違う写真が複数あるので、神様が遠くから地球を見ているようにも、節穴から人間の世界をのぞいているようにも見える。こういう写真があることで、田舎暮らしとか、エコロジーとかだけではなく、哲学的な問題に触れていると感じました。

産道のようにも、宇宙から見た地球のようにも見える3章の導入

奥山 2章にガードレールや煙草の吸い殻の写真が入ってくるのは、僕自身が田舎の生活を、ほっこり、ゆったりしたいい生活ですね、というだけで見ていたわけじゃないから入ってきたイメージだと思います。でも実際にあったものなので、そこにあるもの、眼にしたものを撮っていった結果であることもたしか。

自分のなかで、この村はこういうところだと勝手に固定概念をつくって、そこに寄せるように撮っていくことはしていません。きれいなものもそうではないものも同等に撮っていました。

 

伝えるのが難しい。こうして言葉にしないと

奥山 抽象的な1章と3章がどうして入っているかというと、写っているものだけでいえば、1章は哲朗さんのブランドのイベントで3章は哲朗さんが吉祥寺でやった舞台。哲朗さんにお子さんが生まれたことで、どちらも死生観を感じさせるセリフとか、光る球体を新しい生命に見立てたりしていました。

あとから1~3章までの写真を見返すと、死生が描けるんじゃないかと思いました。死生を描くなら、2章の具体的な眼に見える生活だけじゃなくて、想像したイメージもあったほうがいい。

僕自身もそうなんですが、人は生活のなかで見ているものが多すぎて、1つ1つ気持ちにまで落とし込めていないと思います。見たものから何かを感じて、言葉が生まれて、考えができて、思想になって…というところまで落とし込めるものって、見たもののうち何百、何千分の1だと思うんですよね。

そこでイメージだけがもやもやとストックされているんだと思います。そのときのもやもやしているものと、具体的に眼にしているものとが交差していく感覚が生活のなかにある──というのが僕の感じていること。

もやもやした抽象的なことをどこに落とし込もうかな、と思いながら具体的なものを眼にしていくという感覚です。

抽象と具体の交互の行き交いを、この写真たちだったらわかりやすく伝えられるんじゃないかなと思って、1冊にまとめることにしたんです。

さっきおっしゃったていた球体の写真も、具体から抽象へと移り変わるグラデーションの一部。3章に属していますが、実はほかの3章の写真とは違い、2章、4章と同じ場所で撮った写真です。家の壁の穴にフラスコをさして、フラスコ越しに外を見ている。

1枚だけ露出がすごくオーバーになって、それがあとから見ると、まさに産道みたいで、具体的から抽象に移っていく流れができた。それは映像作品にも反映されていて、どこからから誰かが見ている。実はお腹のなかにいる子どもからの視点に見せたかった。彼が外をのぞいていたという景色にしたくて。

抽象と具体の切り替わりは、写真集でも写真展でも、あまり大きな段差をつけないように意識しました。展覧会では、2章の額を3章の向かいの壁に展示しています。この額、このフォーマット、既視感があるなと思ってもらえるとそこに繋がりが生まれるはずなので。

かといって、まったく同じ仕様にしてしまうと2章に取り込まれ過ぎてしまう。それもあって3章の写真のうち2枚にセロハンを貼って、隣の写真の光の影響を受けているような見せ方を試みました。章をまたいで共通項を感じられるように。

2章で使われていた額が3章に混ざり込むことで繋がっていく

 

タカザワ かなり厳密に構成されているんですね。

奥山 でも伝えるのは難しいですね。こうして言葉にしないと。こうしてインタビューをしていただいたり、トークイベントでお話しないと、見た人には疑問が多いんじゃないかと。

タカザワ たしかに奥山さんの意図をそのまま読み取るのはかなり難しいですね。その点、展示には映像もあり、立体的な展開をしていることもあって、写真集よりも意図がはっきりと伝わってくると思いました。

しかし一方でわかりづらさも魅力ではあるんですよね。簡単にわかってしまったら、それで忘れてしまうかもしれない。謎があるから忘れられない。写真集は奥山さんの意図するところでいえば、5年後、10年後に見返すべきものなのかもしれない。そこに写真集の魅力があるともいえる。

奥山 展示や、映像、言葉。そして写真集。それら全てをよく見ていただいてはじめて伝わるものがある作品だと思います。とくに今回はそうやって多面的に伝えていきたくって。

そして、死生観というキーワードに到達してほしい。少なくとも死生に関する話である、というところまでは。

タカザワ 死生観を哲朗さんという人物を通して表現しているところがユニークです。というのは、写真家は自分自身の経験や記憶を元に作品をつくる人が多く、それが他人であることは珍しいから。

しかし、奥山さんのこのやり方ができれば、さまざまな人を通してさまざまなテーマが表現できる。それも、その個人をドキュメントするという方法ではなく、その人の世界を表現することで。ここが新しい。写真表現の可能性が広がったと思います。

 

奥山由之/Yoshiyuki Okuyama
1991年生まれ。主な写真集に『BACON ICE CREAM』(2015/パルコ出版)、『Girl』(2012/PLANCTON)、『THE NEW STORY』(2016/私家版)、『君の住む街』(2017/Space Shower Books)などがある。第34回写真新世紀優秀賞受賞。第47回講談社出版文化賞写真賞受賞。2017年11月に、写真集『As the Call, So the Echo』を赤々舎より発表した。

奥山由之 写真展『As the Call, So the Echo』
Gallery 916
会期:開催中~2017年12月25日(月)
時間:平日 11:00~20:00/土日・祝日・最終日 11:00~18:30
住所:東京都港区海岸1-14-24 鈴江第3ビル 6F
休館:月曜(祝日・最終日を除く)
入場料:一般800円、大学生・シニア(60歳以上)500円 、高校生300円、中学生以下無料(Gallery916及び916small)
gallery916.com/exhibition/asthecallsotheecho

■関連書籍
奥山由之写真集 『As the Call, So the Echo』
254mm×220mm/ 168ページ/布張り上製本
価格:4,500円(税別)
発行:赤々舎