独学で写真を始めた佐内正史29歳のデビュー作『生きている』が出た経緯とは?|飯沢耕太郎が選ぶ時代に残る写真集


写真集『生きている』青幻舎(1997年)

 佐内正史は1968年、静岡県で生まれた。独学で写真を撮り始め、1995年に第4回キヤノン写真新世紀優秀賞を受賞する。1997年、最初の写真集『生きている』を刊行して一躍注目され、以後、『わからない』(光琳社出版、1998年)、『俺の車』(メタローグ、2001年)など次々に写真集を刊行して時代の波に乗った。2002年に私家版で刊行した『MAP』で第28回木村伊兵衛写真賞を受賞。以後も、2008年に自主レーベル「対照」を立ち上げ、写真集『浮浪』、『DUST』を刊行するなど、精力的に活動を続けている。
写真集『生きている』より

 佐内正史は1995年の第4回写真新世紀で優秀賞(浅葉克己選)を受賞し、それをきっかけに静岡から上京して写真家として活動し始めた。だが、まったく仕事にならず、アルバイトで食いつなぐ日々を過ごす。愛用のペンタックス6×7のフィルムを買えないので、シャッターを空押しするだけということもあったという。
写真集『生きている』より

 当時彼は、プリントをそのまま製本したモノクロームの私家版写真集『Trouble in Mind』をまとめていた。のちにオレンジがかった色にプリントし直して、2008年にマッチアンドカンパニーから再版されるこのシリーズを見ると、ぎりぎりの精神状態で撮影された風景が、ミリ単位の厳密な構図の画面に定着されている。その息苦しいほどの緊張感は、見ていて辛くなってくるほどだ。
写真集『Trouble in Mind』(マッチアンドカンパニー)
写真集『Trouble in Mind』より
写真集『Trouble in Mind』より

だが、

 モノクロームに加えてカラー写真を撮影し始めたことで、次第により風通しのよい場面にも目が向くようになってくる。ほぼ同世代のデザイナー、町口覚と二人で試行錯誤を重ね、カラー写真をやや多めに配合して作りあげたのが『生きている』だった。当初は出版の当てもなかったが、たまたま紹介された京都の出版社、青幻舎の社長、安田秀樹が気に入って写真集の刊行が決まる。綱渡りのような作業を経て、1997年4月に写真集が世に出た。
写真集『生きている』より
写真集『生きている』より
写真集『生きている』より

 『生きている』はいま見ても画期的な写真集である。28×31センチのほぼ真四角のページに、写真がゆったりと余白をとってレイアウトされているのだが、その配列はおよそ論理的(ロジカル)ではない。フリージャズのインプロヴィゼーションのように、次に何が出てくるかわからない感覚や衝動に身を委ねているように見える。にもかかわらず、そこには1990年代後半のやや稀薄な、閉塞感と開放感が綯い交ぜになった空気感がきちんと写り込んでいる。佐内の張りつめた感受性が、楽器のように自由に音を奏で、それらを町口がリズミカルな構成の写真集にまとめあげているのだ。この時点での二人のコラボレーションはまさに奇跡としかいいようがない。

写真集『生きている』より
写真集『生きている』より
写真集『生きている』より

 佐内と町口は、その後も同じ判型の『鉄火』(青幻舎、2004年)など、何冊かコラボレーションを試みている。だが、時代と、彼らの若さと、写真に向き合う姿勢とが見事に合致した『生きている』を超える写真集を生み出すことはできなかったように思える。

飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.20
佐内正史『生きている』青幻舎(1997年)

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