いい写真を撮るには?テラウチマサトが思う知識よりも大切にしたいこと
テラウチマサトの写真の教科書テラウチマサトの写真の教科書vol.21。
PHaT PHOTO写真教室の校長を務めるテラウチが、昨年新しくしたカリキュラムをご紹介しながら、写真を撮るうえで大切なことを語ります。
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観る・感じる・考える・行動する
PHaT PHOTO写真教室では、昨年新しいカリキュラムのクラスをつくった。
生徒の傾向や写真の時代性を考え、この現代において「いい写真だなあ!」と思われるものを撮っていくためには変革が必要だと思ったからだ。
いい写真を撮るには、「観る・感じる・考える・行動する」という4つの軸が大切だと思う。教室のカリキュラムもそのことを意識しながら作成した。いくつかポイントはあるけれど、今回は改革ポイントを簡単にご紹介したい。
写真を撮るには、「観る」ことが不可欠。それはみんな知っていることだろう。でも、それはただ目の前にあるものを目で捉えるだけのことではない。
人は目に映るものがなんなのか、その答えを知った瞬間、関心を失う。たとえば遠くに、黄色い花の群生が現れたとき。あれは何だろうと興味を示していたら、隣の誰かに「あれはひまわり畑だよ」と教えられたとしよう。気になっていたものの正体がわかってしまったら、近づくのをやめてしまわないだろうか。人は「知っている!」と思ったときから、興味を失う。
「もう知っている」と理解することは、同時に思考を止めてしまうことでもあると思う。立ち並ぶ向日葵の形、日に透けた花弁の色、重なり合う葉の濃淡。近づいて自分の目で確かめることで気付くことがある。理解のストッパーをかけず、黙って観察すること。僕はそれを、「観る」と呼んでいる。
そうやって観ていくと、ありふれた被写体の魅力を発見する機会も多くなるだろう。
ひまわり畑に近づいたら、思いがけず向日葵の花の後ろ姿を目にした。青々としたがくから覗く黄色い花びら。その規則正しく並んだ様子を見て、向日葵は後ろ姿もこんなに綺麗だったんだと「感じる」。そして、今までどうして表からしか撮ってこなかったんだろう、
裏側に惹きつけられた理由はなんだろうと「考える」。じゃあ次は後ろに周って、裏側からも撮影してみようと「行動する」。
「観る」ことは、すべての表現のスタートだ。
「観る」ことに誘発されて、感じ、考え、行動するようになっていく。写真教室では、その4つを自発的に行えるように、さまざまな写真を見て、みんなで感じたことを言葉に置き換える練習をしている。写真から空気や温度を感受して言語化することで、観察力だけではなく伝える力も自然と身についていく。
知識よりも大切なこと
「私はこの写真を見て寂しさを感じた」「僕は、どこか希望を感じた」
なにを受け取るのかはその人次第。同じ1枚でも感じ方は人それぞれだし、それに正解はない。
どの光や形に寂しさを感じ、どの部分に希望を見出したのか。
自分の感情が、どのような撮り方・切りとり方から芽生えたものなのかを考えてみることが、写真上達のための近道だと僕は思っている。誰かの写真を見て練習を続けていくと、次第に自分が撮影する時にも、その考え方を適用できるようになるはずだ。
たとえば、雨の中アスファルトの切れ目に小さな花を発見したとしよう。
「雨に濡れた路傍の花に愛おしさを感じる」という人もいれば、「厳しい現代社会の風を感じる」という意見もある。
それを表現するためには、露出やカメラアングルはどうすべきだろう。
ただ単に明るく見せたいから露出をオーバーに。逆に暗く見せたいからアンダーに。それは間違いではない。多くの教科書にはそれが正解だと書かれているかもしれない。
ただ、僕はもう少しなぜその設定を選択するのかということについて考えてみて欲しいと思っている。
被写体に対して湧いた自分の感情を写し込むための設定ができているのか?
なにも知らない誰かがこの写真を見た時に、どう感じるだろうか?
機材の知識があれば、確かにきれいに写真は撮れる。
でも、知識や技術よりも、自分の感情をあらわすための表現方法を考えることを優先してみてほしい。感情に向き合い、表現を考察することで、自分の中でどうしてその1枚をその露出やアングルで撮るべきなのかという理由付けができる。そうすればきっと、感情とカメラの設定の結びつきが強くなるはずだ。
カメラは自分の気持ちを表現するための道具。心とカメラの機能の距離が近づけば、あなたが本当に表現したい、あるいは表現しなければならないものが、より明確になってくるだろうと思う。
正解のない“いい写真”
多様性が重視される時代で、これがいい写真だ!と言い切ることは、もちろん僕にだってできない。人によって千差万別の答えがあるなかで、どれか1つの正解を教える授業は、生徒を型に嵌めるだけで成長を妨げてしまっていると反省した。
今の教室は、ジグソーパズルというよりはレゴのように、いくらでも創意工夫できる余地を盛り込んだものにしている。
たとえばあなたの理想の家を作りなさいと言ったとき、小さい家を作る人もいれば、大豪邸をつくる人もいる。そして、それらは誰が間違っているわけでも正解なわけでもない。正解をあえて作らない。魅力的だと思う写真の理由を突き詰めていく。誰かが寂しさを感じると言った時の、その寂しさの表現について考察してみる。
レゴのように、色も形も、組み合わせも自由。PHaT PHOTO写真教室に通う生徒のみんなには、そんな風に自分の頭のなかで、なんの縛りもなく写真を楽しんでほしいと思っている。
自由に、自在に。その結果、それほどの時間をかけずに成長できるノウハウを掴んだと、今思っている。
PHaT PHOTO写真教室
テラウチマサトが校長を務めるPHaT PHOTO写真教室。教室の理念は“ナンバー1を競う文化”ではなく、“励ましあう文化”の中で授業を展開すること。講師は、生徒それぞれの個性を理解し、生徒たちの「夢の同伴者」であることを目指しています。