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スマホの中の私の日常 vol.1 小林美香 「手と景色」

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私たちを取り巻く環境が、ここまで大きく変化することを誰が想像できたでしょう。存在していた日常が、ただ続いていくことの尊さ。

変わりゆく日々の中で、今、みんなの目に映るものはなんだろう。
性別や環境、職業。様々な生き方をしている人の、日常を見てみたいと思いました。簡単に知ることのできない他者の視点には、思考と経験の足跡が刻まれているはず。そしてそれは、最も身近なスマホに詰まっているのかもしれません。

第1回は、写真研究家であり、表現とジェンダーに関するレクチャーや執筆を行う小林美香さん。身体や性への眼差しについて考えてきた彼女が、写真に収めたものとは。

十人十色で、きっと等しく面白い。
スマホの中のあなたの日常、見せてください。


時々自分の手の写真を撮っている。きっかけは昨年末にiPhoneを機種変更したからである。カメラの性能が格段に良く、ポートレートモードで撮影すると、近いものの輪郭が浮かび上がって背景がぼやける具合が気に入ったので、自分の手にレンズを向けてみたのだ。光のあたり具合で、
自分の手の表情や立体感が違って見えることが新鮮に感じられた。

もう一つのきっかけは、同じ時期に折に触れて爪にネイルを塗るようになったからである。衛生的な観点から爪を短く切っておくようにと親から教え込まれて育ってきたため、今でも常に深爪に近い状態で子どもの爪のように小さく横幅が広いので、縦に長く美しくカーブを描くような女性的な爪の形には程遠く、ネイルにはさほど興味もなかった。
それでもなぜ塗るようになったかというと、駅のトイレや、飲食店での接客時に何度か男性に間違えられたことが理由だ。ツーブロックでベリーショートの髪型、眼鏡、地味な色目の体型を覆うジャケットやコートを着てマスクをつけていると、頭髪や服装の色味で大雑把に判断されるらしい。男性に見間違えらえるのが不快というわけではないが、女性トイレで居合わせた人を動揺させるの回避したいので、人から見える手の爪にネイルを塗っておけば、「男性ではない」と理解されるだろうと判断したのだ。

最初は肌馴染みが良く定番とされる赤茶色を選んだが、塗っても今ひとつしっくりとこない。それなら自分の好きな色をと思い、青緑色を選んで塗ったら短い爪でもそれなりに合うような気がして、それから紺色、灰色、ピーコックグリーン、水色、メタリックブルーと寒色系のネイルを買っては試していった。ネイルの売り場は画材店やホームセンターの塗料コーナーに似ている。自分の肌や服に馴染むか、似合うのかよりも、鳥の羽根や爬虫類の表皮を連想させる色や光沢、質感に惹かれ、爪に色を塗ることでの表面と手の様態をどれくらい変容させられるかということに興味が移っていった。生来的な気質と言うべきか、私の物事への関心の抱き方には、目的に叶う、あるいはある基準を満たす手段を選ぶ段階を通り過ごして、手段それ自体のバリエーションを探求し始めるうちに、当初の目的を忘れてしまう本末転倒な傾向がある。

ネイルを塗ることが、自分の心理状態や見た目の印象に影響するのを実感するのは外出時である。外を歩いていてふと自分の手を見ると、爪の色が空や水の景色にシンクロし、自分の手が眼前の景色の一部になることに気づく。爪先に色を纏うことで、意識が外の世界に向かい、自分の様相とともに、景色の表情が少し変わってくると感じて写真を撮る。顔ではなく手の自撮りをするのは、ある場所にいる感覚や光の感触を記憶に留めておくためなのかもしれない。
コロナ禍の影響で献血不足が深刻だということを知り、1月に久しぶりに献血ルームに足を運んだ時のこと、問診時に担当の看護師さんが、薬指の指先で検査採血する際に、差し出した手を見て「爪の色、全部違う色で塗っているんですね、可愛いです。」と指摘されて嬉しくなった。ふとした切れ端のような会話の中で発せられた言葉からも、装う色は人の記憶の中に残り、小さなシグナルやメッセージにもなるのだと実感する。
手の写真を撮るようになって気づいたのは、街路樹や生垣、緑道のような植物のある場所を通りかかる時に、写真を撮りたくなるということだ。
元々、切花を生ける時や、緑豊かな場所に赴いて写真を撮るのは好きだけれども、植物に触れる自分の手も撮るようになったことで、写真を撮ることが植物の感触を確かめ、交感し、言葉を介さない沈黙のやりとりを求めているのかもしれない。コロナ禍で人との接触機会が減ってしまっているからこそ、何かに触れる新鮮な感覚を失いたくないという気持ちが、ネイルを塗るとか触れる手を撮ることに向かわせているのだとも思う。

小林美香(こばやし・みか)
写真研究者。写真やジェンダー表現に関連する記事の執筆や、翻訳などを行うほかに、レクチャー、ワークショップ、展覧会の企画、コンサルティングなどを手がける。
Twitter @marebitoedition
Instagram @mikamikim

 


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