短編ムービー <心が弾みだす富士河口湖町「道者の歩いた 古の道の旅」>を解説
PHaT PHOTO 公式YouTubeでは富士河口湖町観光PR動画「道者の歩いた 古の道の旅」を公開中(動画はこちら)。この記事では、動画で登場する富士河口湖町のいまだ知られざる魅力的なスポットを深掘りしていきます。動画だけでは伝えきれない富士河口湖町の歴史ある物語、ぜひご覧ください。
富士山の麓「富士河口湖町」
富士河口湖町は、河口湖、西湖、本栖湖、精進湖といった美しい湖に富士山が映える日本有数の景勝地であり、釣りやウォータースポーツ、格式ある旅館やモダンなホテルが建ち並ぶトップ観光地です。
その要にはユネスコの世界文化遺産に選ばれた日本一の山「富士山」があります。
一方、雨や曇りの日。
つまり富士山が見えない日は、観光客にとってなにか物足りない一日となっているようです。
しかし、富士山が見えない日でも楽しめる“秘密の花園”のような場所があります。
道者の歩いた 古の道の旅
それは、江戸時代やそれ以前の各地から来る富士参詣者(道者)が富士山を目指して歩く道、道者道(どうしゃみち)を巡る歴史散策の道です。
当時、街道を人が行き交うとき、集落(村)に災いや疫病、悪霊などが入らぬよう村はずれや交差点に道祖神(どうそしん)が建立されました。
甲斐の国(山梨県)では、丸石をご神体とした道祖神が祀られる地域的な特色があります。
現在は湖付近を周遊道路が走っていますが、昔はもう少し山側を歩いていたと伝えられています。
鎌倉に幕府が置かれていた時代は、鎌倉との結びつきが強くなり甲斐の国と鎌倉を結ぶ道として「東海道甲斐路」のルートが生まれ「鎌倉街道(往還)」と呼ばれるように。
街道というには細くカワイイ鎌倉街道。
その道を歩いていくと神社や石仏に出会い、当時のことが偲ばれます。
▽古い絵地図2種
古より山岳信仰の地として富士山、立山、白山を日本三霊山と呼んできました。
富士山は浅間信仰の対象であるため富士河口湖町にもたくさんの浅間神社がありますが、その中に白山神社があるのは意外な出合い。
鎌倉時代の安貞2年(1228年)、親鸞が浅川に滞在、病と旅の疲れで難渋した際に浅川の人に助けられたことを機に阿弥陀堂を建立し、本尊仏を祀います。
その時親鸞が突き刺した杖が、大銀杏の木になったと伝えられており、銀杏の木も隆盛に伸びています。
河口湖の東岸にある浄土真宗に属する堂宇です。
法華宗、日蓮宗、臨済宗の檀徒が多い河口湖畔では稀有な浄土真宗のエリア。
河口湖班に湖水が伏流して渦を巻く箇所があり、水難事故が起こることが多く、その筒口を塞ぐとともに防除を願って、鎌倉時代の建久4年(1193年)社殿が造営されました。
かつて富士山信仰の重要な場所であったことを想像させる富士山の本地仏、大日如来像が付近に複数存在しています。
貴船神社は1223年の鎌倉時代初期に、京都の鞍馬貴船町の貴船神社から分祀された神社です。
古くから長浜エリアの氏神として崇められてきました。
山上の龍神と渓谷の龍神を祀っていて、共に雨乞いの神であり海運の神でもあります。
長浜地区は山と湖に挟まれているため増水や洪水の被害が多く、そうした水害の被害をくい止めようと、由緒ある京都の貴船神社から御祭神を移鎮してきたとのこと。
河口湖の北東、三つ峠山から延びる稜線尾根の先端にある岬を産屋ケ崎と呼び、石段が設けられた岬の先端上に産屋ケ崎神社が祀られています。
岬の岩場に建つその姿は神秘的な光景です。
交通の要所、人や馬が行きかい、かつて馬の事故が発生した地点に建てられている馬頭観音。
この馬頭観音は掘った石を支える台座の中に観音像が祀られています。
普段何気なく通り過ごしていた場所に、思わぬ歴史の礎が隠れています。
「右あしがわ、左鳴沢」と文字が刻まれ、道しるべを兼ねています。
横には今も使われているバス停があり、今昔の対比を感じます。
いかがでしたでしょうか。
富士河口湖町、まだまだ知らない魅力がたくさんありますよね。
PHaT PHOTO 公式YouTubeでは、富士河口湖町観光PR動画「道者の歩いた 古の道の旅」を公開しています。
この記事とあわせてぜひご覧くださいね。
富士河口湖町 観光PR動画「道者の歩いた 古の道の旅」
「道者の歩いた 古の道の旅」は、富士河口湖町を訪れた一人の女性の気持ちの変化を表現した短編ムービー。富士登拝の道者が歩いた道にある、いまだ知られざる歴史的建造物や文化遺跡を巡る、富士河口湖町の穴場施設巡り。曇りや雨の日でも楽しめる心躍り出すスポット紹介です。
「富士山」だけでない、隠れた富士河口湖町の魅力を感じ取ってください。