1. HOME
  2. Magazine
  3. フォトまち便り「Hello Local」vol.42 郡山写真部~怪談?怨霊?歌舞伎劇「復讐奇談安積沼」舞台の地・日和田を歩く~
Magazine

フォトまち便り「Hello Local」vol.42 郡山写真部~怪談?怨霊?歌舞伎劇「復讐奇談安積沼」舞台の地・日和田を歩く~


紀南、富山、郡山、下田の地域写真部が綴っていく連載企画「フォトまち便りHello Local」。

普段、何気なく住んでいたり訪れたりした土地でも過去の歴史を遡れば、新しい発見や魅力に気付けることもできます。今回は郡山写真部の昆さんに郡山市日和田町の「安積沼」をテーマに歴史を紐解いていただきました。これを読むと”郡山通”になれるかも。


こんにちは、郡山写真部の昆です。

私たちが活動している福島県郡山市は東北地方では仙台に次ぐ第2の経済都市。

中でも北部にある日和田町は大型ショッピングセンターの整備に伴って人口が増えている地域でもあります。古くは奥州街道の檜皮(ひわだ)宿だったこの地は、男と女の復讐と怨霊の祟りを描いた「安積沼(あさかのぬま)」という江戸時代の幻想小説の舞台でもありました。

今回はこの奇談ゆかりの日和田町のスポット、そしてこの土地に関係性の深い「安積沼」をキーワードに皆さんに紹介してみたいと思います。

「復讐奇談安積沼」とは?

さて、「復讐奇談安積沼」のストーリーを簡単にお話しします。

主な登場人物は幽霊役が得意な江戸の役者「木幡小平次」とその妻「お塚」、そして、お塚と密かに関係を持っていた「左九郎」という男。あるとき、安積の地への旅興行に出た小平次は、左九郎から釣りに誘われるがままに一緒に安積沼へ行くと、そこで沼に突き落とされ、そして命を落としてしまう。その後江戸に戻った左九郎は、死んだはずの小平次の姿を見て、また怪奇な出来事が続く…というストーリーです。

松尾芭蕉が訪れたとされる安積沼・安積山公園へ

少し話はそれますが、安積沼で有名な記録があります。

みちのくのあさかの沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ」~1689年(元禄2年)には松尾芭蕉は曾良とともに日和田町で馬を求め、花かつみを安積山・安積沼周辺で捜し歩いたと記録されています。残念ながら芭蕉は花かつみそのものを見付けることができませんでしたが、歌枕としての安積沼は「古今和歌集」などの和歌にも登場します。

花つかみの話は郡山写真部のvol.28でも紹介されています
フォトまちだより「Hello Local」vol.28 郡山写真部 ~ご当地マンホールからたどった素敵な郡山~

また、前田慶次が残した奥州米沢庄道之日記には『(前略) さゝ川、郡やま、高倉のこなたの野の中に、まわり十丈あまりのぬまあり其中に小嶋あり、里の長に問侍れバ、これなん浅香のぬまなりとかたる』と記されていることから、少なくとも1601年頃までは周囲約30mほどの沼があったようです。

また、興味深いのは、松尾芭蕉が隣の須賀川から弟子の杉山杉風(すぎやまさんぷう)あてに書いた手紙の中に、「是より仙台まで風雅人もえミへず候よし、朔日二日之比、仙台へ付可申候。」という一節があること。須賀川では個性豊かな風流人に囲まれ長く滞在した芭蕉でしたが、「ここから先は俳諧を嗜むような風流人もいないので、1,2日頃仙台に着く」と、伝えています。郡山で泊まった宿の印象があまり良くなかった上に、探し求めた花かつみも見つけられなかったことから、芭蕉の目には郡山は風情のある街には映らなかったよう。

安積沼に関連するもう一つの伝説の土地「蛇骨地蔵堂」へ

はてさて、話が松尾芭蕉に逸れてしまいましたので、少し戻しましょう。

「安積沼に身を投げて命が絶えてしまう」という似た話が伝わるのがこの蛇骨地蔵堂(じゃこつじぞうどう)。なんとも不思議な名前のお堂ですが、叶わぬ恋を恨み大蛇に化けたあやめ姫を成仏させたのがこの地蔵堂だと伝わっています。

言い伝えによると、「荒れ狂う大蛇を鎮めるために沼のほとりに置かれた佐世姫が法華経を唱えていると、大蛇が出現。お経を聞いた大蛇はその法華経によって天女の姿に変わっていき昇天した。天女は佐世姫に礼を述べ、残された蛇骨で地蔵を作ってくれるように依頼した。」とのこと。

この地蔵堂の裏には、大蛇の人身御供となった32人の娘と佐世姫を供養するための三十三観音像が安置されています。

安積沼の岸の石に頭を乗せてお経を聞いた、という蛇枕石。また、蛇穴や棚木桜も残されていますが、現在は田畑や住宅地などになり、郡山市日和田町根柄に沼の跡を示す案内板が立つのみです。

かつてあった「安積沼」に訪れてみて

一説によると、10万年ほど前には郡山市から南の矢吹町まで広がる巨大な古代湖『古郡山湖』があったとされ、安積沼はその名残りという説。

また、14世紀頃までは安積郡片平(現在の郡山市片平町)の安積山麓から日和田までの7kmほど続く巨大な沼であった、という説もあります。また、沼の西側の高台には鎌倉時代にこの地域を治めていた日和田舘跡を望むこともできます。

  江戸時代後期の地理学者/関岡野洲良(せきおかやすら)の著には、『宝沢沼と近くにあった稲原沼という大沼が続いて安積沼とされていた』と記述されていることから、推測するにかつての「郡山湖」が徐々に小さくなったと考えることも出来そうです。

安積沼があったとされるエリアは会津磐悌山、安達太良山と阿武隈川との間にある平野で、以前はあちこちに沼があったと伝わります。また、安積沼も、古くは安積の里にある沼というほどの意味で、現在安積山公園の碑が立っている場所だけが安積の沼というわけではないようです。

そう考えると松尾芭蕉は、「安積沼」と言う沼を探していたのではなく、いくつかの沼を探し歩いていたのかも知れません。

さて、最初に出発したJR日和田駅に戻ってきました。

交通網が発達した今、カメラを持って郡山市内を徒歩で移動するという機会は少なくなってしまいましたが、今はなくなってしまった「安積沼」というキーワードで日和田の地域を歩いてみました。

ぜひ皆さんも日和田に来て、遠い昔にあった風景に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?


昆愛(こん あい)

埼玉県川越市出身。会社員のかたわら、地域通訳案内士の資格を活かし福島県内の地域資源の掘り起こしと福島の魅力を国内外へ発信している。最近は、郡山市湖南町のどぶろくと猪苗代湖で取った川エビで作った佃煮がお気に入り。

郡山に住む写真好きの仲間が集まり、2018年から活動をしている「郡山写真部」。

郡山のまち、人の魅力を「写真」を通じて見つめ直し、「#郡山写真部」で発信しています。

郡山写真部が取材・記事を書いて作ったデジタルフォトマップ「郡山フォトスポットガイド」コチラ

郡山写真部のインスタグラムはコチラ


STORY TELLER / 写真家達の物語 vol.37

フォトディレクターの推し写真集

まちスナ日和