飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.4 石内都『絶唱、横須賀ストーリー』
1947年、群馬県桐生市に生まれた石内都は、多摩美術大学を中退後に写真家の道を選び、1979年に第4回木村伊兵衛写真賞を受賞する。以後コンスタントに作品を発表し、2005年に「Mother’s」で第51回ヴェネチア・ビエンナーレに参加、2014年にはハッセルブラッド国際写真賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けている。
石内都『肌理と写真』
横浜美術館
期間:開催中~3月4日(日)まで
石内都は6歳の時に神奈川県横須賀市に移り、19歳で多摩美術大学に入学するまでを、その「米軍基地と軍港の街」で過ごした。大学では染織を学んでいた石内が、写真家として最初に取り組んだテーマのひとつが、少女時代を過ごした横須賀を再び訪れて撮影することだった。
横須賀の記憶は、むろんポジティブなものだけではない。石内はむしろ傷口を押し広げるようにして撮影を続け、1977年に150点近い作品による個展「絶唱、横須賀ストーリー」(銀座ニコンサロン)を開催する。79年には、そこからさらに107点に絞り込んで、写真集『絶唱、横須賀ストーリー』(写真通信社)を刊行した。この写真集は、既に1978年に写真集にまとめていた『APARTMENT』(写真通信社)とともに、第4回木村伊兵衛写真賞の受賞対象となった。
木造アパートとその住人たちを撮影した『APARTMENT』、「切迫した気分で横須賀を駆け抜け」た『絶唱、横須賀ストーリー』、さらに「赤線地帯」の建物とその内部にカメラを向けた『連夜の街』(朝日ソノラマ、1981年)のいわゆる「初期三部作」を特徴づけているのは、砂粒のようにざらついたプリントの粒子である。石内は、被写体の手触りを確かめるようにして撮影し、その触感をさらに暗室作業で増幅させて印画紙に焼き付ける。そうやって出現してきたモノクロームの画像には、石内だけでなく、それを見るわれわれの記憶にも深く食い込み、共振させるような力が備わっている。
石内は2017年12月〜2018年3月に、横浜美術館で「肌理(きめ)と写真」展を開催した。「横浜」、「絹」、「無垢」、「遺されたもの」の4部構成、約240点を一堂に会する大規模展である。そこには、横浜美術館が所蔵する「絶唱、横須賀ストーリー」のヴィンテージ・プリント55点も特別展示されていた。このシリーズが、デビューから40年を経て大きく広がリ、洗練の度を増した石内の作品世界の、まさに原点であることを、あらためて確かめることができた。
飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.4
石内都『絶唱、横須賀ストーリー』写真通信社、1979年