飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.8 内藤正敏『東京 都市の闇を幻視する』
開催中~7月16日(月・祝)
開館時間:10:00~18:00(木・金は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:毎週月曜日(ただし7/16[月・祝]は開館)
料金:一般 700円/学生 600円/中高生・65歳以上 500円トークイベント「内藤正敏の世界」
6月8日 (金)18:00~19:30 飯沢耕太郎(写真評論家)×松岡正剛(編集工学者)
6月29日(金)18:00~19:30 赤坂憲雄 (民俗学者・学習院大学教授)
定員:各回50名
会場:東京都写真美術館 1階スタジオ
詳細はWebサイトにて
1938年、東京市蒲田区原町(現大田区多摩川)生まれの内藤正敏は、早稲田大学理工学部卒業後、倉敷レイヨン勤務を経て、1962年からフリーの写真家として活動し始めた。
初期には高分子物質の化学反応を利用したSF的なイメージの作品を発表していたが、1963年に山形県の湯殿山で入定した鉄門海聖人の即身仏(ミイラ)を見て衝撃を受け、東北の民間信仰を取材・撮影し始める。
1970年代以降、民俗学者として多数の著作を発表するとともに、独自のフィールドワークに基づく写真作品を発表していった。
民俗学の知を駆使しつつ、恐山、遠野など東北地方の祭礼や民間信仰を撮影していた内藤正敏は、同時期に生まれ育った東京にもカメラを向け始めた。
そのきっかけになったのは、1970年頃に浅草の稲村劇場という見世物小屋の芸人に魅せられ、夢中になって撮影し始めたことだった。
そこから東京各地に撮影場所を広げ、路上のホームレス、お花見、ストリップ劇場なども写すようになっていった。
1977年頃には、消毒会社の作業員とともにビル街を回って、ネズミたちを集中して撮影する。1ヶ月もすると「どこからネズミがとび出してきても、百発百中写せるようになった」という。
「ブラックホールのように不気味な都市の闇」をストロボで照らし出す作業を続けるうちに、「東京をカメラを持って歩いていると、ところどころにタイムトンネルのような穴があいていて、“江戸”に通じている」という新たな認識が育っていった。
奥州街道の起点でもある浅草は、まさに江戸の境界領域に位置していて、「東北の闇の他界への入口」の役目を果たしていた。そこには浅草寺のような聖域だけでなく、いかがわしい見世物小屋や吉原のような性的なテリトリーも含まれている。東京を撮り歩くうちに、内藤は地域性や歴史性を超えた「もう一つの東京」の姿を、ありありと思い描くようになっていった。
1985年刊行の写真集『東京 都市の闇を幻視する』は、冒頭に「写真・文・構成・題字・装丁——内藤正敏」と記されている通り、彼自身の写真家=民俗学者としてのエネルギーをすべて注ぎ込んだ渾身の力作である。
『アサヒカメラ』(1971年5月号〜12月号)連載の「東京市街図」と『カメラ毎日』(1983年10月号、84年3月号、12月号)掲載の「東京」シリーズが中心だが、未発表の作品も含む(全90点)。巻末には、「東京論ノート」と題した、これまた力のこもった長文の論考がおさめられている。ページを繰っていくと、まさに内藤とともに「都市の闇」をさまよい歩いているように感じてくる。
内藤正敏『東京 都市の闇を幻視する』名著出版、1985年
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