飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.10 平敷兼七『山羊の肺 沖縄一九六八−二〇〇〇年』
平敷兼七(へしき・けんしち)は1948年に沖縄・今帰仁(なきじん)村に生まれる。1967年、沖縄工業高校卒業後、上京して東京写真大学に学ぶが中退し、東京綜合写真専門学校に再入学して1972年に卒業した。同校卒業後に沖縄に戻り、沖縄人としてのアイデンティティに根ざした写真を撮り続ける。2007年に自費出版を除いては生前唯一の写真集となる本書を刊行。2008年に第33回伊奈信男賞を受賞するが、2009年に惜しまれつつ逝去した。
日時:2018年8月10日(金)~9月24日(月)
時間:10:00~18:00
休廊:火曜日
入場料:500円(高校生以下無料)
場所:平敷兼七ギャラリー
住所:沖縄県浦添市城間1-38-6-1F(美容室Anny隣)
入場料:500円(高校生以下無料)
URL:heshikiken7.ti-da.net
平敷兼七『山羊の肺 沖縄一九六八−二〇〇〇年【復刻版】』
2018年5月30日発売(初版発行2007年4月)
詳細:B5判変形 上製 196頁(写真総数168点)
定価:4200円+税
影書房
(左)豊年踊り見学(八重山 1970)(右)子どもたちとケンケンしている大人(屋ヶ名 1970)
沖縄はユニークな写真家たちを輩出しているが、平敷兼七もそのひとりである。東京で写真を学んで沖縄に帰った彼は、以後、南島の風土と人々の暮らしに寄り添うようにして写真を撮り続けた。1985年には石川真生らと同人誌『美風』を刊行、『沖縄を救った女性達』(1992年)、『島武己』(1996年)などの写真集を自費出版するなど、粘り強い活動を続ける。本書『山羊の肺 沖縄一九六八−二〇〇〇年』は、彼の代表作を集大成した写真集で、1960〜80年代に撮影された写真、170点がおさめられている。
(左)デモ行進のための見張り(嘉手納基地 1970)(右)何となく気になった子 何を思っているのだろう(南部港川 1970)
特に強い印象を受けるのは、
「『職業婦人』たち」というパートにまとめられた写真群である。平敷は長年にわたって「貢税のため、家族一家の借金のため、子どもたちのたべもののために売られ買われてきた『職業婦人』たち」、つまり身をひさいで生きる売春婦たちを撮影し続けてきた。
(左)みんなの面倒をみているママさん(浦添泉町 1975)
ともすればネガティブになりがちなテーマだが、平敷は彼女たちの生へのリスペクトを込めてシャッターを切っている。ある意味では、戦後の沖縄の社会状況を象徴しているともいえる「職業婦人」たちだが、あくまでも平静な距離感を保ち、淡々と撮影していることに、逆に胸を突かれる。
(左)客引き(浦添泉町 1970) (右)タバコ一息(南大東 1970)
(左)浦添城間泉町通り(1970頃)(右)客に呼ばれるまで仮眠しながらまつ(大謝名 1970)
(左)客を送り出す彼女(泉町 1970)(右)夜になるまでの時間つぶし、となりの風呂屋のおやじと兄ちゃんたち(南大東 1970)
写真集にはほかにも、「B29が今日もいる」とキャプションに記された嘉手納基地近くの光景(1970年)など、細やかな観察力で沖縄の現実を浮かび上がらせた写真がたくさん入っている。
(左)B29が今日もいる(嘉手納 1970)(右)はしけ(北大東 1970)
平敷は写真集の刊行にあわせて、銀座と大阪のニコンサロンで同名の展覧会を開催し、その成果が認められて、2008年に第33回伊奈信男賞を受賞する。その頃から彼の存在はようやく広く知られるようになり、今後の活躍が期待されたのだが、翌2009年にその突然の死が伝えられた。没後、その評価はさらに高まりつつある。2016年にはNHK・Eテレの「日曜美術館」で「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」が放映され、浦添市の自宅を改装した平敷兼七ギャラリーがオープンした。また、『父ちゃんは写真家:平敷兼七遺作集』(未來社、2016年)も刊行されている。
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