テクニックを駆使した写真で日本を多彩に表現。奈良原一高『ジャパネスク』|飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.18
今年結成60周年を迎える写真家集団VIVOのメンバ―だった奈良原一高。代表作としては、軍艦島を舞台とした「人間の土地」や「ヨーロッパ・静止した時間」で知られています。
そんな奈良原の作品の中でも異色なのが写真集『ジャパネスク』。カメラのテクニックがふんだんに用いられているダイナミックな作品です。古書店でもなかなか手に入れることが難しい貴重な写真集を、飯沢耕太郎氏の蔵書からご紹介します。
奈良原一高(ならはらいっこう/本姓・楢原)は、1931年に福岡県大牟田市に生まれる。1955年、中央大学法学部卒業後、早稲田大学大学院に進んでスペイン美術史を専攻した。
1956年、長崎県端島(通称・軍艦島)と桜島の麓の鹿児島県黒神を撮影した写真で個展『人間の土地』を開催し、一躍新進写真家として注目される、1959年、東松照明、細江英公、川田喜久治らと写真家グループVIVOを結成。以後、日本の写真表現をリードする写真家のひとりとなった。
奈良原一高は1962年に渡欧し、パリを中心に65年まで各地に滞在する。だが、石造りの重厚な建築物に代表されるヨーロッパの「極めて人工的で完結した世界」に触れることで、逆に日本人としての物の見方を意識するようになった。
滞欧中の写真は、帰国後に写真集『ヨーロッパ・静止した時間』(鹿島研究所出版会、1967年)と『スペイン 偉大なる午後』(求龍堂、1969年)にまとまるが、奈良原はヨーロッパ人の眼で日本の伝統文化を見直した時に、どのような世界が出現してくるかに興味を抱くようになる。そのアイディアを実現したのが、「カメラ毎日」(1968年3月号〜69年11月号)に8回にわたって掲載された「日本図譜」と「番外・日本図譜」のシリーズである。
『ジャパネスク』(毎日新聞社、1970年)は、この2つのシリーズから抜粋して「総集編」としてまとめられた。「富士」、「刀」、「能」、「禪」、「色」、「角力」、「連」、「封」の8部構成をとり、全部で101枚の写真がおさめられている。
特筆すべきは、テクニックを駆使した写真表現の多彩さだろう。
広角レンズや望遠レンズでカメラ・アングルを強調するだけでなく、「刀」や「禪」では長時間露光によるブレの効果やソラリゼーションなどが用いられ、「富士」や「色」では、カラー写真による華麗な色彩感覚が発揮されている。そのことによって、日本の伝統文化の基層が新たな角度から浮かび上がってきた。
もうひとつ注目すべきなのは、田中一光(たなかいっこう)のデザインと山岸章二の編集である。VIVOの写真家たちには、杉浦康平が装丁した川田喜久治の『地図』(美術出版社、1965年)のように、すぐれた才能を持つデザイナーとの共同作業というべき作品集が多い。
『ジャパネスク』もその1冊で、日本デザインセンターを経て独立した田中一光の、伝統とモダンとを融合したデザイン感覚が、大判写真集の大胆なレイアウトに活かされている。
また、「カメラ毎日」編集部で口絵作品の企画・構成を担当していた山岸章二は、この時期、ストーリーではなく写真そのものの喚起力を強調する編集スタイルを確立しようとしていた。
『ジャパネスク』を置き土産として、奈良原は次のステップに踏み出していく。1970〜74年には渡米し、ニューヨークを拠点として、よりスケールの大きな作品世界をつくりあげていった。
奈良原一高『ジャパネスク』毎日新聞社、1970年
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