生きているうちに撮るべきもの。長谷良樹が写真を続ける原動力とは
7年間にわたり撮影した、岐阜県南部の街・恵那の風景を収めた長谷良樹の写真集「ENA」。
クレーンで吊るされた鉄骨に座る人や、庭に置かれたピアノを囲む人々。
日常的な風景と人やモノのちぐはぐな組み合わせに、見たことのある田舎町の景色が、どこでもない場所のように思えてくる。
不思議な違和感を生む恵那の写真はどのようにして生まれたのか、話を訊いた。
自然と人、宝の溢れる街・恵那
――7年間岐阜県の恵那市に通われていたということでしたが、きっかけはなんだったのでしょうか?
長谷 仕事で訪れたのが最初です。僕はもともとアメリカで何年か過ごしていた時期があるんですが、日本に戻ってきたタイミングで、友人の監督に「映画の撮影を手伝ってほしい」と言われて仕事として恵那に行きました。
撮影中は2、3ヶ月滞在して、僕にとってはそれが初めての田舎暮らしでした。撮影が終わって東京に戻ると、恵那で見た景色や会った人をよく思い出してしまって。そこにある素材が本当に素晴らしくて、宝の山みたいに見えたんですね。
これはまた写真を撮りに行こうと決めて、それから7年も通い続けました。
――被写体として写っている方々は、恵那に住んでいる方ですか?
長谷 全部恵那の人です。顔がいいとか、スタイルがいいとかということで選んでいるわけではなくて、なにか直感的にいいなと思った人に声を掛けて撮影のお願いをしていました。
――一般の方に協力してもらう上では、コミュニケーションも大切そうですね。
長谷 基本的に謎の多い写真なので、撮られている側にとっては何が起きているのかわからない状況なんですよね。だから、撮影現場は割と重い空気になるんです。なんでこんなのに付き合ってしまったんだろうみたいな(笑)。
それでも自分にとってはビジョンがあって。こう撮ればいい写真になるというイメージがあるので、その気持ちにしたがって少しだけ苦痛に耐えてもらっていました。
そこに座ってください、こちらを向いてください、笑わないでくださいとか、ある程度指示は出すんですが、その中で相手が見せたモーションをそのまま拾ったりして、割とアドリブを効かせることもあります。その場で直感的に絵をつくっていっていますね。
――1番最初に完璧な形をつくるというよりは、街の人々を配置させて、いろいろな動きを見ながら完成させるんですね。
長谷 そうですね。このピアノの写真もそういう風にして出来上がった1枚です。ここは、ピアノの上に座っているおばあちゃんの家で、恵那の中でもかなりの限界集落の山奥にあるところなんですが、この場所を見つけてからずっと撮りたいと思っていて。
一度東京に戻ってから、どう撮ればいいんだろうと考えていた時に、ふとピアノが必要だと思ったんですよ。それですぐに地元の知り合いの人に電話をしてピアノを探してもらって。
そうしたら、次はピアノを弾く人が必要になるので、恵那の人に声を掛けてお願いしました。だんだんと形がつくられていったら、今度はピアノの上で踊る人が欲しくなった。そんな感じで、おばあちゃんとダンサーとピアノを弾く人の3人が決まって撮影日を迎えました。
――残りの人たちは、最初は予定されていなかったんですか?
長谷 実は帽子をかぶった人や、切り株に足を置いている人は、たまたまこの地区をピクニックしていた参加者の方々なんです。道に迷ってこの裏庭に来てしまったみたいで。予定も何もなかったんですけど、なんかいいなあと思って入ってもらいました。
前に寝転がっているおじさんに至っては、もう誰だか覚えてないんですよ。多分ピアノを一緒に運ぶのを手伝ってくれた人たちだと思うんですけど。
――そうなんですね!家族や、繋がりのある方たちに見えました。
長谷 瞬間的に何かの関係があるように見えるんですよね。でも見えるだけで、ピクニックをしていた人たちにはもう連絡すらとれないですし、撮影した瞬間だけの特殊な関係です。僕はもともとどこか不思議な写真を撮りたいというビジョンがあったんですが、割と初期の段階でこの作品が撮れたことで、勢いがつきました。
偶然が生む面白さ
――長谷さんの写真を見た最初の印象では、きっちり細部まで決めて撮っていると思っていたので、意外です。
長谷 もちろん、きちんと計画して撮るものもありますが、偶然生まれた面白さも積極的に取り入れていきたいと思っています。
表紙になった写真は、人物の選定や衣装設定までつくり込んだ作品ですね。このクレーンを操縦できる人が庭師の人だったんですけど、その人と知り合いになってからずっと、このクレーンを使って面白いものがつくれるなと考えていました。
僕は空中に何かがあるというのが絵として好きで。じゃあクレーンで人を吊るしてみようと思って、それは2人がいい、しかもスーツじゃなきゃだめだ、とか色々アイディアを練って、この写真になりました。
――すごい発想ですね…!どういう時にイメージがわくんでしょうか?
長谷 恵那には、カメラや機材を積んで車で行くんですが、ずっと街を走り回っているんです。それで、たまに車を止めて歩いていると、色んな場所に出合うんですね。本当に些細な、そんなに大したところじゃない場所を、小さいカメラで撮影して記録を残しておく。
その時には何も浮かばないんですけど、恵那を探索する中で色んな人と会って、ふいにこの人をあそこに連れて行きたい!と思ったりして。いくつかの場所を、頭の中にストックしています。
――建物や場所はしっかり下見をして選ばれているんですね。
長谷 そうですね、基本的には通って実際に見た中で撮りたいと思ったものを選んでいます。中には本当に偶然できた写真もあって、これもその1つですね。
この家は誰も住んでいない大きな空き家で、恵那に滞在する間はずっとここに泊めさせてもらっていました。前の住民の仏壇とか歯ブラシがそのまま残っているようなところなんです。
実はこの写真を撮る前にもう1人地元の男性がいたんですけど、その人と女性が言い合いになってしまって。男性は帰っていったんですが、その後女性は怒り出して、急に脱いで撮ろう!と僕に言い出したんです。前から一緒に撮ろうという話はしていたんですが、まさかヌードを撮るなんて全然予想していませんでした。
この空き家はとてもフォトジェニックなところだったので、すぐに場所を探して、鏡や頭に巻くスカーフもどこからか探し出してきて。本当に即興で完成した1枚です。計画しない写真の面白さが詰まっているかなと思います。
――構想から実際に撮影するまでは、大体どれくらいの期間がかかるのでしょうか?
長谷 1日でその場で出来てしまうものから、3ヶ月くらいかかるものまで様々です。撮影の間には恵那と東京の間を50回以上も往復しているんですが、設置する物の準備だけで終わってしまうこともありました。
被写体の人とのスケジュールが合わなかったり、予定を忘れられていたりなんてことも。1つの作品にある程度の期間をかけて集中して取り組むというよりは、いくつかの撮りたい写真を掛け持ちして、同時進行で撮影から準備までをしていましたね。
想像を超えた写真が撮れる快感を求めて
――東京と恵那を何度も往復するのは時間も体力も必要ですよね。恵那という場所で撮り続けようと思われたのはなぜですか。
長谷 ひとつの場所で撮り続ける原動力が何かということは、自分も写真家に聞いてみたいです(笑)。みなさん色んな理由があるんでしょうけど、僕の場合はやっぱり、こういう写真が撮れる快感かなと思います。
せっかく縁があって恵那を撮影する機会に恵まれたのに、実は僕の写真では、全然恵那のことを説明していないんです。実際に街に行ってみたら、この写真集に載っているような風景には出合わないかもしれない。
だから、地方の魅力を伝えたいとかっていう社会的な理由は正直あまりなくて、自分の想像を超えるような写真が撮れるという快感を得たいという思いが強いです。それで、そう思えるような写真を1枚でも多く撮りたい。完全に自分の中だけの話なんですけど、いい写真を撮れた後の、なんだかすごいものを手に入れたような感覚って、中毒性があるんですよね。
――では、撮影する時には見る人の視線はあまり意識しないんですか?
長谷 全然考えてないかもしれないですね。自分でどう感じるかということ以外は、たぶん頭にないような気がします。
同じように被写体になってくれる人たちのことも、そこまで意識していないです。もちろん、協力してくださっているので居心地がいいように、できるだけ気を遣ってはいるんですが。
人を撮影するのは、多分怖いと思う方もいるでしょうし、コミュニケーションのとり方もなかなか難しい。でも、多分本当に撮りたいと思うものに出合えば、もう一気にそういう恐怖や悩みは知らないうちに超えているのかなと思います。
この恵那での撮影は、大袈裟ですけど僕にとっては、生きているうちに出しておかなきゃいけないものというだけで、特に誰かのため、何かのためにやらなきゃいけないことではない。
だから、こういう状況や人に出合うのは相当なプレッシャーはありますけど、僕が思う存分表現をしていい舞台を与えられているような感じで、いい意味で相手を気にしないというか。写真で証明すれば大丈夫だと、少し腹をくくっているようなところがあります。
――被写体の人には、写真の説明はしますか?
長谷 撮った人には一応写真はあげています。でも写真を見るまでは、本当に意味の分からない時間でしょうね(笑)。
だけどこういう作品を撮っていて面白いなと思うのは、写真を渡したときに、「これがやりたかったのか」「俺もうちょっとこっちに行った方がよかったな」とか言ってくれる人がいるんです。だから、きっとなにかあるんだろうなと。はっきりとした像は共有できなくても、落ち着く先みたいなものがあるんじゃないかなと思っています。
――写真集のセレクトで意識されたことはなんでしょう。
長谷 絶対入れたい写真が20枚くらいあって、それ以外は連続したときの印象で選びました。僕が恵那で感じた匂いや空気が全体を通して伝わればいいかなと。
明確なメッセージがあまりないので、見た人が腑に落ちなくても全然いいなと思っています。僕も正直、疑問のままなんですね。これが何なのか分からなくて不思議だけれど、恵那の景色や人々の様子はどこか心地いい。そういう謎を謎として残したまま、写真を楽しんでもらいたいと思っています。
――今後、撮りたい作品について教えてください。
長谷 特に決まったものはないんですが、この恵那のようなプロジェクトにまた巡り合いたいですね。
時間やエネルギーをかけて撮ろうと思えるものを見つけるのが、やっぱり写真家かなと思うので。それはモノでも人でも、場所でもなんでもいいんですけど、そういう強烈なものにまた出合いたいです。
【長谷良樹プロフィール】
学習院経済学部卒。東京で3年間の会社生活を経て、単身ニューヨークに渡り写真を始める。イーストビレッジのHIVコミュニティーの人々を撮った作品集「The Happiness Within(フジフォトサロン新人賞奨励賞)」を2008年に出版。7年のアメリカ生活の後、東京に拠点を移し 「181°」 、「First Composition」(Tokyo International Photography Competition入賞)などのコンテンポラリープロジェクトを国内外で展開。2018年5月にユカイハンズパブリッシングより写真集「ENA」を発売。www.yoshikihase.com
【写真集】
著者:長谷良樹
タイトル:『ENA』
デザイン:山崎健太郎(NO DESIGN)
出版社:ユカイハンズパブリッシング
価格:5,500円+税(通常版)
20,500円+税(特別版A・B・C)
仕様:ハードカバー/B4判変型(257×330mm)/80ページ
URL:https://www.yukaihands-publishing.net/yhp-013
■【写真集】長谷良樹『ENA』7年間追い続けた恵那市の人と風景
■自傷行為を追う。岡原功祐のドキュメンタリー「Ibasyo」が教えてくれること
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