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HOW TO / 作品制作のヒント

正しい答えは必要ない。作品をもっと楽しく鑑賞する方法


テラウチマサトの写真の教科書 vol.25。
写真や絵画など、芸術を鑑賞するには知識が必要で、「自分にはわからない」と苦手意識がある人はいませんか?でも、芸術を味わうのに必要なのは本当に“知識”だけなのでしょうか。
テラウチマサトが写真を撮る中で身につけた、もっと楽しく作品を鑑賞する方法、そして自分の作品を深めていくためのヒントをお伝えします。

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芸術に知識は必要か?

芸術というものに、答えはない。写真や絵画、あるいは詩や音楽にも。
こういう特徴があるから、この解釈をしなければならない。資料が残っているから、この考え方が正しい。もちろん、それは間違いじゃない。だけど、答えを暗記し、作品と正解を線で結ぶよりも、もっと楽しいアートの味わい方があると思う。

たとえば、ゴッホの「ひまわり」という作品を鑑賞するとしよう。
ゴッホはアルルで7点の「花瓶に生けたひまわり」を描いているが、そのうちで最高の1点といわれる作品が、日本の損保ジャパン日本興亜美術館に飾られている。
そこに行けば、恐らくきちんと作品についての解説があるだろう。どのような状況で描かれ、どのような歴史を辿ったのか。そして多様な絵の具を用いた意味や、ひまわりというモチーフに込められた想いまでが、きっと作品の脇に説明書きとしてある。

写真集「フィンセント・ファン・ゴッホ―ほんとうのことは誰も知らない―」より

それは、確かに知っていていいことなのだ。こういうものなんだと知った上で眺めてみるのは、作品の理解に繋がるだろう。けれど、そこで終わってはいけない。得た知識をそのまま語るだけだと、僕は少しもったいないような気がする。

1つの作品について、様々な文献を読み、あらゆる事柄を参照してくる。A、Bという意見があり、またある一方ではCという意見があることがわかった。それでは一体、あなたの意見はなんだろう?AかBかC。そのうちのどれかを選ぶしかない?
そんなことはない。学者や研究者の方の意見は、ある1つの道筋。必ずその道を選ばなければいけないわけではないし、新たな道を探ろうとしたとしても、それは不正解であるはずがない。

思考する楽しみ=アート

頭でアートを語るのではなく、そこからもう一歩深く楽しむためには、どうすればいいんだろうか?そのコツは人によって違うだろうけれど、僕の場合は、じっと見ることだ。

じっと見つめる。絵画を鑑賞する時も、写真を撮る時も同じだ。風景にしても、人物にしても、どんな木が生えていたのか、どんな服を着ていたのか、どんな襟だったのか…そういう細部を記憶に留めるために、じーっと見ている。それは、もしかしたら写真家独特のものの見方かもしれない。

写真集「フィンセント・ファン・ゴッホ―ほんとうのことは誰も知らない―」より

ある時、先述した「ひまわり」の絵を図録でじっと見ていると、1輪のひまわりの真ん中が赤く染まっていることに気づいた。その赤い点以外は、すべて黄色と緑だけ。ぽっかりと浮かぶ赤に、目が釘付けになった。
間違いなくゴッホが描いた赤い点。その理由はなんだったんだろう。浮世絵の影響で日本に憧れていたから、日の丸のイメージ?それとも、ただの中心点だろうか。そんな風に考えていると、絵画を鑑賞するのが本当に面白くなってくる。

そうやって思考することこそ、アートの楽しみなんじゃないかと僕は思う。
誰かに言われた解説を思い出して、その通りに作品を理解する。それもいいけれど、たとえ間違いだと言われても、誰かに借りた言葉より、自分の感覚で作品に向き合う方がずっといい。

特にゴッホのように生き方が派手な画家は、絵以外の部分で語られることが多い。大変な人生だった、生きているうちに作品は1枚しか売れなかった、失恋ばかりだった。そういう逸話だけが先行して、純粋にこの絵を眺めることを忘れがちになってしまう。だからこそ、しっかり見てみること。花瓶はどんな形だろう。花は何輪あって、どの方向に挿してあるのか。観察の目線からしか、新しい発見は生まれないような気がする。

その発見は、もしかしたら解説本に書いてあるものかもしれない。でも、僕はそれを紙に書いてある文章からではなく、作品と自分との対話の中で見出すことが、なにより価値のあることだと思っている。

自分の感覚を信じる大切さ

知識は感情を豊かにもするが、感じることの足止めにもなる。
たとえば、ある作品を見てなんとなく悲し気に見えると思っても、解説に楽しい場面だと書いてあったら、自分が間違っていたと感じてしまうだろう。
知識にはいい面と悪い面があり、大切なのはそれを過信しないことだ。学者が言った言葉や、本に書いてあることだけが、正しいと思わないこと。アートはもっと、寛容なものだ。

見ることは、感じることの最初の一歩。
勉強して身につけた知識は、確かに素晴らしい。でも、今は検索すればすぐに答えが出てきてしまう。それも、みんなと同じ答えだ。
作品を鑑賞する時、そして写真を撮ろうという時。人は最初に、うんちくや教養、知識を知りたがる。でも、それよりも先に自分の感覚を信じてみて欲しい。

その作品を見てどう感じたか。悲しかったのか、嬉しかったのか。どんな気持ちになり、どんな言葉にしたいと思ったのか。
そして、感じたことを語り合ってみて欲しい。そんなところを見ているんだ、私はそこには気づかなかった。そんな風に感じたことを言葉に置き換えて伝え合うことで、みんなとは決して一緒ではない、あなたならではの答えや表現が見つかると思う。

写真集「フィンセント・ファン・ゴッホ―ほんとうのことは誰も知らない―」より

16世紀以前の絵画は、生きているうちに見られるだろうかという劇的な風景画や、あるいはとても美しいものを描いて評価されてきた。しかし、時代の進化とともに印象派が出現したり、普通の絵を描く風潮もでてきた。珍しさと美しさを賛美するのは、写真も同じだった。

でも、絵画の様式が変化していったように、写真もどんどん変化している。今、こうしている間にも。現在どんな写真を撮るべきなのかは、誰も教えてくれない。世の中にある数多の作品や、同じ教室の仲間の作品を見つめてみよう。他人の解説を待つよりも、自分でその被写体や風景から何かを感じ取ろうとすることで、写真を撮る姿勢もきっと変わってくるはずだ。

アートを楽しむには、知識をなぞるのではなくて、感じること。そして、感じたことを語り合うこと。感じ、語れば、必ず知識以上にあなたの記憶の中に根付く、大切な作品が生まれることだろう。あなたの目をつかって、あなたの心で、感じることからはじめよう。

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