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HOW TO / 作品制作のヒント

あなたの世界は狭くない?表現の幅を広げる「両極」の捉え方


テラウチマサトの写真の教科書 vol.26。
今回は、表現の幅を広げるために大切なこと。
人は、自分の知識や経験の中でしか表現できないからこそ、たくさんの写真を見ることが必要。
多くの作品に触れることで得られることはなんなのか。そして、人の心を震わせる作品のつくり方は?テラウチが自身の授業や制作の過程を振り返りながら、作品制作のアドバイスを贈ります。

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“知識の器”を大きくする

写真表現をより深いものにしたいなら、写真の知識というものの器を大きくすることだ。
そして、大きな器を手にするためにはさまざまなカテゴリの両極を知らなければいけない。
何故なら、器の大きさとは両極の広さのことだと思うから。

旅行に行った時に、改めて自分の居場所や暮らしがどんなものなのか考えることはないだろうか?寒さが厳しい場所と熱帯地域。極端な状況を知れば、割と日本は過ごしやすい気候かもしれないと実感したりする。
その感覚は、写真においても重要なものじゃないかと思っている。

(写真集「フィンセント・ファンゴッホ ―ほんとうのことは誰も知らない― 」より冬の木々 )

PHaT PHOTO写真教室のミディアムクラスでは、世界中のいろいろな写真家たちの作品を見ることから授業をはじめる。場所が違えば文化や風土も異なり、そこに生まれる芸術も当然違ってくる。

さまざまな作品を知ることは、撮る人にとってなぜ良いのか?
その例を挙げてみよう。

たとえば、
とても明るく朗らかな写真と、その真逆の暗く悲壮感の漂う写真。
端と端を捉えると、自分が撮った作品はこの2つの間のどこに位置するだろうと俯瞰できるようになってくる。もちろん、その物差しは先に挙げたような明るさだけではなく、モチーフの扱い方や色調、質感などさまざまなベクトルがあるだろう。

そして、自分が知っている両極が離れていれば離れているほど、自分の作品世界は深長になっていく。
自分が撮った作品の中で、いちばん暗い写真だと思っていたものよりも、さらに底知れない深い闇のような写真に出合ったとしよう。すると、今までの写真の器の中央が少しずれたりする。両極の一方が広がったことによって、自分は中央ではなく、どちらかと言えば右端に近い場所に位置していたのだな、などと変化があるかもしれない。

両極を広げていくことは、現在の自分のポジションをより明確にする。そのうえで、目標とする位置を決めて、そこに到達するために伸ばすべきことを教えてくれるのだ。

ギャップの中にアートが生まれる

物事の両極は、組み合わせることによって、そこに面白さを見出すこともできる。

たとえば、卒業式の日、優等生が担任に感謝を述べるシーンと、不良がひと言「先生、ありがとうございました」と呟くシーンを思い浮かべてみてほしい。
イメージとして不良の生徒がお礼を言った時の方が、感動が大きくはないだろうか?

優等生が感謝を表すのは、ある程度予想のできる出来事。優等生が両極の一方に位置しているとすると、「感謝」という行為もそれに近い場所にある。しかし、不良の生徒が「ありがとう」というのは、立ち位置とはまるで真逆のことだ。
本人のポジションと行動のギャップが大きければ、そこから生まれる感動も大きくなる。

(写真集「フィンセント・ファンゴッホーほんとうのことは誰も知らないー 」より)
ゴッホが入院した修道院病院を撮影。左耳を切り、精神を病んだと言われるゴッホが入院した場所には、色とりどりの可愛らしい花が並んでいた。

写真で言えば、ただ無邪気な笑顔の子どもを切りとったように見えるけれど、「実は病気を乗り越えた末に初めて家族を目に映した時の表情だ」とキャプションを書いたりすると、きっと見る目も違ってくるだろう。

あるいは、栄えていた商店街が徐々に滅んでいく様子や、遊園地の人気者の着ぐるみが何故かしょんぼり隅にいる姿…写るものや、写真と言葉の中にギャップをつくり出すと、見る人はぐっと心を掴まれてしまう気がする。

正反対のものをくっつけることに、人は感動し、驚く。
そうしたギャップの中にこそアートは生まれるのだと僕は思っている。

“間”に見つける美しさ

ここまでは写真に関する器の大きさ、それに伴う端と端の話をしてきたが、作品を制作する時に僕が何より大切にしているのは、実は“その間”だ。
白と黒、その両極を知っているからこそ、混じり合う中間が見えてくる。

「白黒つけろ」というのは簡単。悪は罰され、正義が勝つ。レンズの絞りは最小か、最大だけ。両極は、分かりやすく気持ちがいいものだ。でも、それははっきりとした判断基準を持つことでもあるけれど、世界を2つに限定してしまうことと同義なような気がする。

僕たちを取り巻く環境は、本当はもっと色とりどりで、細やかに見ている人には白黒つけられない問題だっていっぱいある。両極をきちんと捉えた上で、その中間に美しさを見出していくこと。もちろん極端なものがダメだとは言わない。ただ、美意識というものは明確に区分できないものの中にもあると思う。

僕はそれを、『NY 夢の距離』や『タヒチ 昼と夜の間』の写真集、作品で表現してきたつもりだ。曖昧さをそのまま受け入れる。移り変わっていく過程を尊いと感じたり、あえて物事を分解せずに感覚で信じてみる。

(写真集「タヒチ 昼と夜の間」より)

その簡単に言葉にできないような写真は、白黒はっきりと分かれたものよりも、じんわりと鑑賞する人の心に染み入る力があると僕は思っている。
そして、その中間の中に美しさを見出していく目は、多くの作品を見て自分の写真の器を広げていくことで、確実に養っていくことができる。

両極を知ること。自分の作品の位置と、目標を定めること。両極を組み合わせてみること。
それらを少しずつでも学び実践していけば、きっとあなたの表現はより複雑で奥深いものになっていくだろう。

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