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飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.7 北井一夫『村へ』

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北井一夫『村へ』淡交社、1980年

北井一夫 写真展『プロパガンダ — 神戸港沖仲仕 — 』
BOOKS f3(ブックス エフサン)
会期:2018年4月26日(木)~5月28日(月) 定休日:火・水曜
時間:13:00~20:00
住所:新潟県新潟市中央区沼垂東2丁目1−17

1944年、旧満洲国鞍山に生まれた北井一夫は、1965年に日本大学芸術学部写真学科を中退し、横須賀の原子力潜水艦寄港阻止闘争、三里塚の空港建設反対運動など、激しく揺れ動く政治闘争の現場にカメラを向けていった。

だが1970年代になると、日本各地の村々を訪ね歩き、変わりゆく風景や人々の暮らしを静かな眼差しで捉える連作を撮影・発表し始めた。それらをまとめたのが、1976年に第一回木村伊兵衛写真賞を受賞する「村へ」である。

「村へ」は1974年1月号〜75年12月号に『アサヒカメラ』に連載され、さらに76年1月号からは「そして村へ」とタイトルを変更して77年6月号まで続いた。

この間に木村伊兵衛写真賞を受賞したことを受けて、1976年10月号の『アサヒカメラ』臨時増刊として『北井一夫「村へ」』というムックが刊行されている。

1980年に刊行された淡交社版は、「別冊よりも時期と場所をひろげて写真を選びなおし再編集」した、このシリーズの決定版というべき写真集である。


「稲刈り」、「馬方」、「湯治場」、「バス待合室」といった具合に、テーマ別に再編集された写真は、北海道から沖縄まで日本各地で撮影されている。

北井の撮影のスタイルは、あらかじめ被写体や撮り方を決めるのではなく、いわば行き当たりばったりに、出会ったものをカメラにおさめていくやり方である。

最初の頃はキヤノンの一眼レフカメラだったが、すぐにライカやライツミノルタのような、あまり威圧感のないレンジファインダー式のカメラに変える。
レンズはほとんどが25ミリ〜35ミリの広角系であり、その結果、やや距離を置いて、その場の空気感を丸ごとつかみ取るような独特の撮影のスタイルができあがっていった。

北井がこのシリーズの撮影を続けていた頃、日本の農村地帯には大きな変化の波が押し寄せてきていた。
高度経済成長にともなって、農業、漁業、林業などの第一次産業の従事者の数は減り続け、後継者を失った村落共同体は少しずつ解体していく。

そこには、表紙になっている「渡し船」や、「マタギ」、「湯治場」など、既に失われつつあった情景も写っている。

だが、北井がこの写真集で伝えようとしたのは、滅びゆくものへの感傷やノスタルジアではなく、日本人の暮らしの原風景を記憶に留めたいという強い思いだった。

北井は、写真集のあとがきに「ちょうど、ブリューゲルの、町の人びとの動きや町並みをたくさん盛り込んだ俯瞰図のような絵がお手本だった」と書いた。
確かにそこには、村の生活と風景の細部が「たんねんに」拾い集められている。

飯沢耕太郎が選ぶ「時代に残る写真集」Vol.7
北井一夫『村へ』淡交社、1980年

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