テラウチマサト×沖昌之[前編]/猫の魅力を「引き出す」ための心がけ
盛況の後に終了した、沖昌之さんの「残念すぎるネコ」展。会期中のイベントとして、写真家のテラウチマサトさんとのトークショーが開催されました。PHaT PHOTO写真教室でテラウチさんの生徒だった沖さん。PHaT PHOTO写真教室に通い始めるきっかけからはじまり、沖さんとテラウチさんのお互いの写真観まで深堀します。
今も考え続ける「可愛い・きれい」を抜け出す方法
沖 よろしくお願いいたします。今日はこうしてテラウチ先生とお話をさせていただいているのですが、失礼ながら教室に通うまでテラウチ先生の名前を存じ上げませんでした。
闇雲に猫の写真を撮っていた2014年頃、知人にPHaT PHOTO写真教室を紹介してもらったんです。そこでテラウチ先生に僕の猫の写真を見せたら、面白がってもらえたんですよね。入校当時、写真のことはもう右も左もわかりませんでした。
テラウチ 沖さんのクラスでは、最初からPPC(PHaT PHOTO CONTEST)に応募することを宿題にしていたんです。沖さんの写真がどんどん良くなっていったことを覚えていますね。
沖 毎回いろんなテーマで宿題が出されるんですが、勝手に自分の中で被写体を「猫しばり」にしていたこともあって、月1回の宿題が毎回つらくて(笑)。
テラウチ 沖さんの写真って、タイトルがすごく面白いんです。たとえばこれ。最初は本当に巌流島で撮ったのかと思った(笑)。
テラウチ PPCの審査員で写真に「猫」が写っていると、それだけで選外に弾く人もいて。「猫の写真って審査で選ぶのってすごく難しいよね」という話はよくしますね。沖さんも最初の頃は、「かわいい猫」というか、猫そのものを撮っていましたよね。
沖 そうですね。
テラウチ それだとうまくいかないよ、と教室で沖さんに言ったのを覚えています。その時は「企画の二段重ね」の話をしたんですよ。ただ綺麗で、上手に、可愛く猫を撮るんじゃなくて、沖さんの写真の「~過ぎる」のような何かを、もう1つ重ねようっていう話をして。
たとえば結婚式だって、「花嫁の父親」の視点で写真を撮ると、新しい企画になる。卒業式なら、初めて卒業生を送り出す先生の視点とか、先輩に憧れる後輩からみた視点とかで撮ると、切りとり方も変わってくる。その話を授業でしたときから、沖さんが撮る猫が少しずつ変わってきましたね。
テラウチ 次第に「これは猫に薬でも打って撮ったんじゃないか」みたいな話がでるくらい、不思議な猫を撮ってくるようになって(笑)。どんどん、沖さんらしい独特の感じになっていったという印象ですね。
テラウチ これなんて本当に上手いタイトルでしたよね。後ろにマンションがあって、そして「建てる」っていう。本当に若夫婦がつくっているみたい。
沖 「きれいとか上手さだけでは勝てないよ」ってずっと強く言われていました。タイトルでも写真の見え方が変わるから、ひとりよがりにならないように注意はしていて。想像の余白というか、広がりをつくるほうがいいってよく言われていましたね。
いまもまだタイトルを付けるのは苦手ですが、考えながら付けています。
テラウチ 当時しつこく言っていた企画力がすごく良くなってる。しかもオンリーワンだと思います。いまでもPPCに応募してくれるけど、沖さんの作品ってすぐわかりますからね。こうして毎回入選にあがってきているのは、「可愛い猫」から逸脱しているからだと思いますよ。
沖 ありがとうございます。
でもこれでいいのかどうかの答えは、自分ではまだわからないです。わからないまま禅問答みたいに、毎日毎日悩みながらやってますね。
「表現」ではなく「表出」。被写体の魅力の引き出し方
テラウチ よく写真は「表現」っていうけど、僕は少し違うと思っていて。写真はインタビューと似ていて、「引き出す」ものなんですよ。僕はポートレートを撮るときでも、技術云々よりも、その人の中に持っている魅力をいかに引き出すかを考えています。だから「表現」というより「表出」だと思っているんです。
沖 よくわかります。猫は本当に素晴らしいモデルで、猫の気持ちが盛り上がってきたら、息を合わすように自分が撮ればそれだけでいいものになる。
テラウチ 沖さんの猫を見てると、引き出して「表出」させている気がする。沖さんは黒子で、透明人間みたいな撮り方ですよね。猫がこちらを意識していない、というか。
沖 良い瞬間をしっかり待って、見落とさないようにシャッターを押す。そのタイミングがくるまで我慢して待って、猫の「表出」する瞬間を見ているとは思います。
テラウチ 沖さんが言われるように、撮影場所に自分を溶け込まして待ちながら、何かが起こるのを待つ。もっと言えば、相手に気付かれないように、沖さんは何かが起こるように仕向けていると思います。良い写真は、頭の中にあるイメージを考えて構えながら、そのイメージを飛び越える出来事が起こった瞬間を撮ることで生まれるんですよ。それを沖さんはちゃんとやってる。
沖 自分が想像する範疇だけで撮る写真って、「こう撮ったんだ」ってわかってしまうし、ありきたりなんですよね。やっぱり自分の範疇を超えるものに出会った時に、「お、これってどういうこと?」という驚きになるので。
テラウチ そうだね。
沖 それが1か月1枚撮影できたらいい。10年で100枚撮れれば、それが写真集にできる。そのために捧げる時間だったら惜しくもないって思いながら撮っています。
―後半に続きます―